概要
日中戦争・太平洋戦争(大東亜戦争)終結後、日本海軍は解体され(運輸省・海上保安庁に移管された宗谷、生名、鵜来、竹生、新南を除く)艦船は、戦勝国に賠償艦として引き渡されるか、あるいは国内外で廃棄処分となった。このうち廃棄処分となる事となった艦艇の一部が防波堤の基礎部分あるいは防波堤本体として流用されたのである。戦後の物資不足・資金難の中、手頃な大きさの鉄の塊である廃船を港湾整備に用いるというのも、自然な話と言えるかもしれない。
既に戦後70年以上経過し、こうした旧軍艦艇を用いた軍艦防波堤の中には港湾拡張などにより既に撤去されてしまったものもある。
なお、「軍艦防波堤」という名称を用いているが、厳密にはこれらの防波堤に用いられた艦船は旧軍基準における「軍艦」の定義からは外れている。
現役の軍艦防波堤
響灘沈艦護岸(北九州港、福岡県北九州市若松区)
(メイン画像参照)
使用された艦船
一般に「軍艦防波堤」といえばこちらを指す事が多い。1948年に建設された当初は旧軍艦艇の船体に土砂や岩石をコンクリ詰めにした状態で埋設されており船の形がハッキリと残っていたが、年月の経過により風化や金属泥棒の被害が起こるようになり、最終的には1961年の台風被害からの復旧の際にコンクリートで外から覆われる事となってしまった。ただし現在でも「柳」の船体上部はコンクリート床面から顔を出す形で露出しており、数少ない旧軍艦艇を見ることのできるスポットとなっている。
沈船防波堤(小名浜港、福島県いわき市)
使用された艦船
1948年設置。澤風は市営小名浜魚市場近くの海面に埋設され、一方の汐風は一号埠頭の防砂防波堤として利用されていた。こちらも当初は両艦とも駆逐艦の外見を留めていたものの、澤風については1965年に魚市場の拡張に伴い撤去されてしまった。汐風の方も周囲が埋め立てられ肉眼で見る事はできなくなってしまったが未だ健在であり、現在では一号埠頭の舗装の一部がちょうど汐風直上の位置で艦尾の形を象った形に敷き詰められており埋設箇所は比較的分かりやすい状態となっている。
防波堤(安浦漁港、広島県呉市)
使用された艦船
- EC型戦時標準船「第一武智丸」「第二武智丸」
鋼材節約目的で建造された鉄筋コンクリート製貨物船(別称:EC型戦時標準船)を利用し、1950年に完成。現在でも両船ともに健在である。
また、同じ呉市の坪井漁港には、同じくコンクリート製の被曳航油槽船(要するに他船に曳航される形で用いられるオイルタンカー)を流用した防波堤があり、こちらも実船が現存している。
かつて軍艦防波堤が存在した港湾
他にもかつて民間のタンカーを利用した防波堤がかつて八戸港(青森県八戸市)に存在していた。