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概要

長野県北部上水内郡信濃町にある黒姫山。その山には山の名の由来となった黒姫に関する伝説が伝わっている。

様々な文献には各々でバリエーションがあり、時代によって変化もしている。共通して地元領主の娘・黒姫と彼女に恋したとの悲恋に関しての物語となっている。

『信濃奇勝録』『日本伝説叢書』

領主・高梨家の黒姫に恋した岩倉池の龍蛇が人に化けて連れ去ろうとするが失敗し、湿原の池の水で人々を苦しめようとするが、山神に阻まれてしまい、4つの池しか残らなくなったという。

『下高井郡誌』『信濃の伝説』

高梨摂津守政盛の娘・黒姫に元に謎の狩衣を着た青年が現れ、政盛は源頼朝伝来の名剣で追い払った。青年の正体は岩倉池の龍で、黒姫を慕っていたがしくじり、それを知った竜王によって池を追い出されしまい、城下をにして移り住もうと企み、毎日暴風を起こした。黒姫は自ら犠牲になって龍を鎮めようと思い、反対した政盛も夢枕に現れた湯殿権現のお告げを受け、黒姫を送り出した。

黒姫は越後との国境の山でで白髪の翁に出会い、龍蛇を退治する方法を教えてもらい、そのために名剣が必要で、退治できれば姫の名をこの山に名付けると言われる。黒姫は名剣と自らの黒髪を翁に渡し、翁は名剣と髪を池に放り込むと、名剣を飲み込んだ龍は倒された。その後、黒姫の姿は消え、山は黒姫山と呼ばれるようになった。

『みすゞかる信濃』

高井郡日野城の高梨政盛の跡を弟の盛頼が継ぎ、娘の黒姫は長尾為景の勧めで室町幕府第9代将軍・足利義尚侍女になろうとしていた。そこへ謎の美青年が黒姫の元に現れ通うようになり、怪しんだ盛頼は美青年を捕らえようとし、逃げた青年を名剣で切りつけたが、たちまち嵐となって洪水が起こり城が流されてしまう。美青年の正体は岩倉池の黒龍で、黒姫を慕うも叶わず、さらに竜王の怒りを受け池を追い出され、その腹いせに洪水を起こした。

真山城に逃れた盛頼は風雨が収まると復興策として酒造りを禁じて備蓄米確保を優先し、佐久から食料を調達。湯殿山の神社に参拝し、夢のお告げで黒龍の居場所を知り、さらに夢のお告げで黒姫に名剣を渡し、黒姫は山に潜む黒龍を名剣で退治した。その時の流血が赤川となり、山は黒姫山と呼ばれたという。

『信濃の民話』

地元領主・高梨政盛は娘の黒姫や家臣とともに花見に出かけ、そこに現れた白蛇に黒姫は政盛に促されて酒を上げた。その夜、黒姫の元に謎の青年が現れ、昼間の蛇だと明かして求婚して証に鏡を置いていき、黒姫も青年に惹かれた。

後日、青年は政盛に黒姫をもらいたいと述べ、政盛も最初は青年に好印象を持ったが、自分が大沼池の黒龍であると明かすと人ならざる者に姫は渡さないと政盛は怒って青年を追い返した。それから青年は毎日城に通い、100日目に政盛は青年に試練を与えた。政盛自ら馬に乗って城を回り、青年が付いてこれたら求婚を認めると言うものだった。しかし、実は途中で青年に傷を負わす罠で、それでも城を回りきって龍に戻った青年に政盛は約束を破り、裏切られ怒った龍は黒雲に乗って姿を消した。

それ以来、嵐が続き城下は水浸しになり、荒れる城下を憂えた黒姫は約束を破った政盛を責め、嵐に向かって怒りを静めるよう願い、鏡を空に投げた。すると現れた黒龍に黒姫は乗り、二人は空へ消えていった。洪水で荒れた城下に嘆く黒姫に黒龍は許しを乞い、二人は山の池へと移り住み、その山は黒姫山と呼ばれ、二人は里を見守っているという。

このバージョンは長野県中野市の地元の人による黒姫伝説を松谷みよ子氏が再話したもので、現在知られる黒姫伝説で一番有名な形態。松谷氏は現地で「洪水で黒姫だけが生き残った」「黒姫が瓢箪を持って龍に嫁いだ」「黒姫が雨を降らせた」などの様々な伝承を聞き取り、こうした話が「黒姫伝説」の由来になったと分析した。

また水害の経験のある老年層が伝説を「生贄」と捉えるのに対し、若年層が「愛の物語」と捉えており、伝説の変移を感じたという。

テレビアニメまんが日本昔ばなし』の「大沼池の黒竜」や『ふるさと再生日本の昔ばなし』の「黒姫と竜」はこのバージョンの話を元に描いている。

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