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Chicago

しかご

アメリカの都市。またはそれから名を採ったバンド、ミュージカルなど。
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曖昧さ回避編集


ロックバンドの「シカゴ」編集

ロックブラス・セクションを取り入れ、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズと共に、ブラス・ロックと称された。

デビュー当時は反体制的な歌詞が注目を集めたが、1980年代に入るとAOR路線でヒットを連発。現在も活動は継続している。


来歴編集

1967年、シカゴ市でテリー・キャスをリーダーに、ウォルター・パラゼイダーロバート・ラムジェイムズ・パンコウリー・ロックネインダニー・セラフィンにより「ビッグ・シング」が結成された。同年、ピーター・セテラも加入。

1969年、ロサンゼルス市(カリフォルニア州)へ拠点を移し、ジェイムズ・ウィリアム・ガルシオのプロデュースにより「シカゴ・トランジット・オーソリティ」(「シカゴ交通局」の意)としてコロムビア・レコードからアルバム『シカゴの軌跡』でデビュー。


1970年、シカゴ交通局からの苦情でバンド名は「シカゴ」に変更となる。アルバム『シカゴと23の誓い』を発売し、シングルカットされた『長い夜』がヒット。

1971年、1月にリリースしたアルバム『シカゴⅢ』がビルボードで2位を獲得。11月にリリースしたライブ・アルバム『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』はビルボードで3位を獲得。

1972年、アルバム『シカゴⅤ』がビルボードで1位を獲得。

1973年、ロッキー山脈スタジオを構える。アルバム『遙かなる亜米利加』をリリース。

1976年、アルバム『シカゴⅩ』をリリース。AOR、ポップス路線へと移行し、シングルカットされた『愛ある別れ』が大ヒット。テリー・キャスやロバート・ラムはこの路線に不満でメンバーが対立するようになる。

1977年、アルバム『シカゴⅪ』をリリースし、シングルカットされた『朝もやの二人』がヒット。デビューからプロデュースを行ってきたガルシオを、金銭問題により解雇。

1978年、リーダーのテリー・キャスが拳銃暴発事故で死亡。解散や改名も考えられたが、リーダーを立てずに活動再開。アルバム『ホット・ストリート』をリリース。ディスコ・ミュージックに移行するが失敗。低迷期に入る。


1982年、フル・ムーン・レコードに移籍。デイヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎え、アルバム『ラヴ・ミー・トゥモロウ』をリリース。シングルカットされた『素直になれなくて』がヒット。

1984年、アルバム『シカゴ17』をリリース。シングルカットされた『君こそすべて』がヒット。

1985年、フロントマンのセテラが脱退。新ボーカリストとしてジェイソン・シェフが加入。

1988年、ラブ・バラード、AOR路線でのヒットが続くが、メンバーの不満によりフォスターは解雇された。


1991年、アルバム『シカゴ21』をリリース。売り上げが低迷し、フル・ムーン・レコードとの関係が悪化。

1995年、ジャイアント・レコードへ移籍し、ビッグバンドジャズカバー・アルバム『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』をリリース。

1998年、ホリデイ・アルバム『シカゴ25〜クリスマス・アルバム〜』をリリース。ベストアルバムも数枚発売し、大ヒットを記録した。


2006年、15年ぶりのオリジナル・アルバム『シカゴⅩⅩⅩ』をリリース。


2014年、8年ぶりのオリジナル・アルバム『シカゴ36"NOW"』をリリース。

2016年、ロックの殿堂入り。フロントマンのシェフが脱退。新ボーカリストとしてジェフ・コーフィーが加入。

2018年、コーフィーが脱退。新ボーカリストとしてニール・ドネルが加入。


余談編集

  • 西川貴教は『素直になれなくて』が音楽に目覚めるきっかけになった曲と語っている。

関連タグ編集

シカゴ 洋楽 ロックバンド ブラスバンド ベースボーカル

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