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概要編集

1967年生まれ、広島県出身。本名は「山中 勝巳」。


大関初代貴ノ花の藤島親方が育てた関取第一号。最高位は東関脇。大関取りのチャンスもあったが失敗している。現役時代はとにかく腕力が強いことで有名だった。当時の横綱陣にめっぽう強く、平成初期には金星獲得数が断トツだった。その一方で琴錦にはとても弱かった。金星獲得数歴代1位の16個、三賞獲得数歴代1位の19回と、史上最強の関脇と言える実績だった。


琴錦とは9勝39敗、魁皇とは6勝25敗、千代の富士とは4勝7敗、武蔵丸とは11勝32敗、曙とは8勝30敗だった。


現在は高田川親方として後進の指導に当たっている。その稽古の厳しさは有名で、竜電ら数人の関取も輩出している。関取衆が泣きべそをかくほどの厳しい稽古で知られる一方で、強くなるために良い食材が存在すると分かれば予算を惜しまずそれを弟子のために調達するなど弟子思いな一面がある。竜電が新十両の場所で股関節を負傷し休場した際には苦言を呈している。


人物編集

良くも悪くも脳筋を絵に描いたような性格で、現役時代は脳筋すぎて周囲が付いていけない面もあった。貴闘力の証言によると、稽古で痛がった付け人が根性が無いように見えたためか、その後1年もその付け人とは口を聞かなかったという。

また、インタビューの際に喋らないという点でも有名。いつも「覚えていません」すぐに言い、NHKアナが「では、覚えている範囲で」と言っても「覚えていません」で終わっていたそうで藤井康生元アナが苦言を呈している。



トリビア編集

第15回アメリカ横断ウルトラクイズには「相撲ギャル」と呼ばれた彼のファンの女性挑戦者がおり、メインランド到達まで勝ち残っていた。


関連タグ編集

力士 大相撲

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