琴錦登
1922年3月7日~1974年7月14日
本名「藤村 登」。1944年11月場所で新入幕して幕内在籍時の11年間、師匠・玉錦譲りの速攻相撲な取り口で活躍した。引退後は、年寄「佐渡ヶ嶽」を襲名し大関・琴ヶ濱や横綱・琴櫻らを輩出。
琴錦功宗
1968年6月8日~
中学卒業後に佐渡ケ嶽部屋に入門。力士としては小さく軽い方だったが彼の速攻な取り口はF1相撲と称された。終生のライバル安芸乃島や貴闘力と共に「史上最強の三役陣」と言われ、大関には昇進出来ず関脇止まりだったが長く活躍した。幕内最高優勝2回(いずれも平幕優勝である)。
2000年9月場所にて現役を引退。引退後も日本相撲協会に年寄として在籍しているが、「借り株」であったため年寄名跡がコロコロと変遷(部屋の後継者は入門時の師匠である琴櫻と養子縁組をしていた琴ノ若が選ばれたことや、現役時代に女性関係で問題を起こして、タニマチから年寄株を買うための援助が貰えなかったとの説もある)。2016年にようやく年寄「朝日山」の株を正式取得、同年6月に独立し「朝日山部屋」が創設された。
ポプテピピック柄のネクタイを締めてAmebaで解説をしたことがあり、一時期話題になった。