本姓
概要
藤原師実の次男家忠が祖で家忠が花山院を受け継いだことが由来。家忠の子忠宗は最終官位が権中納言だったが、忠宗の子忠雅は時の権力者・平清盛と縁戚関係にあった(忠雅の子兼雅の妻が清盛の次女)ことから太政大臣にまで昇った。明治維新後は侯爵に叙爵された。
歴代当主
代 | 氏名 | 生年、誕生日 | 続柄 |
---|---|---|---|
1 | 藤原家忠 | 康平5年(1062年) | 藤原師実の次男 |
2 | 藤原忠宗 | 寛治元年(1087年) | 家忠の長男 |
3 | 藤原忠雅 | 天治元年(1124年) | 忠宗の次男 |
4 | 藤原兼雅 | 久安4年(1148年) | 忠雅の長男 |
5 | 花山院忠経 | 承安3(1173年)正月 | 兼雅の長男 |
6 | 花山院定雅 | 建保6年12月2日(1218年12月21日) | 忠経の三男 |
7 | 花山院通雅 | 貞永元年4月2日(1232年4月23日) | 定雅の長男 |
8 | 花山院家教 | 文応2年正月20日(1261年2月20日) | 通雅の次男 |
9 | 花山院家定 | 弘安6年7月2日(1283年7月27日) | 家教の男子 |
10 | 花山院長定 | 文保2年5月28日(1318年6月27日) | 家定の三男 |
11 | 花山院兼定 | 延元3年/建武5年1月2日(1338年1月23日) | 長定の男子 |
12 | 花山院通定 | 貞治元/正平17(1362年)10月 | 兼定の男子 |
13 | 花山院忠定 | 天授5年/康暦元年10月5日(1379年11月14日) | 通定の男子 |
14 | 花山院持忠 | 応永12年(1405年) | 忠定の猶子 |
15 | 花山院定嗣 | 永享8年5月5日(1436年5月20日) | 持忠の男子 |
16 | 花山院政長 | 宝徳2年(1450年) | 持忠の男子 |
17 | 花山院忠輔 | 文明15年2月10日(1483年3月18日) | 政長の男子 |
18 | 花山院家輔 | 永正16年(1519年) | 九条尚経の男子 |
19 | 花山院定熙 | 永禄元年11月12日(1558年12月21日) | 西園寺公朝の男子 |
20 | 花山院忠長 | 天正16年(1588年) | 定熙の男子 |
21 | 花山院定好 | 慶長4年10月11日(1599年11月28日) | 定熙の男子 |
22 | 花山院忠広 | 寛永5年(1628年) | 定好の男子 |
23 | 花山院定教 | 寛永6年10月1日(1629年11月15日) | 定好の男子 |
24 | 花山院定誠 | 寛永17年2月26日(1640年4月17日) | 定好の男子 |
25 | 花山院持実 | 寛文10年10月17日(1670年11月29日) | 定誠の男子 |
26 | 花山院師夏 | 元禄5年(1692年) | 持実の男子 |
27 | 花山院常雅 | 元禄13年2月3日(1700年3月23日) | 持実の男子 |
28 | 花山院長熙 | 享保21年1月21日(1736年3月3日) | 常雅の男子 |
29 | 花山院愛徳 | 宝暦5年3月3日(1755年4月14日) | 中山栄親の次男 |
30 | 花山院家厚 | 寛政元年3月28日(1789年4月23日) | 愛徳の男子 |
31 | 花山院家正 | 天保5年(1834年) | 家厚の男子 |
32 | 花山院家理 | 天保10年9月7日(1839年10月13日) | 家厚の男子 |
33 | 花山院家威 | 安政4年(1857年) | 家理の男子 |
34 | 花山院忠遠 | 明治9年(1876年) | 家威の男子 |
35 | 花山院親家 | 1878年(明治11年)12月13日 | 堀河康隆の七男 |
36 | 花山院親忠 | 1918年(大正7年) | 親家の男子 |
37 | 花山院弘匡 | 1962年(昭和37年) | 親忠の男子 |