宮号の由来
久邇宮朝彦親王が称した宮号であり、その後親王の第二王子邦憲王が宮家として創始した。
賀陽の宮号は朝彦親王邸に植えられていた榧の木が由来。
賀陽宮邦憲王
朝彦親王の第二王子として生まれ、本来は父が創始した久邇宮を継ぐ予定であったが王が病弱だったことで弟の邦彦王が久邇宮を継ぐ。その後醍醐忠順侯爵の長女好子と結婚した。その後明治天皇から請願し、賀陽宮を創始。その後王は神宮祭主に就いた。
賀陽宮恒憲王
邦憲王と好子妃の第一王子として生まれ、父の死後賀陽宮を継ぐその後九条道実公爵の五女敏子と結婚し。六男一女儲ける、王は陸軍軍人で階級は中将まで昇る。
その後1947年(昭和22年)に皇籍離脱し、賀陽恒憲と称した。
その後の賀陽宮
恒憲の死後賀陽宮の祭祀は長男邦寿が継いだが1986年(昭和61年)に死去した。その後弟の治憲が継いだが2011年(平成23年)に死去その後甥の正憲(1994年に死去した章憲の長男)が継ぐ正憲は今上天皇の同級生である。また賀陽正憲氏は学習院大学出身で某有名メーカーや信託銀行を始め有名企業を経て2000年に宮内庁に転職し、その後外交官として出向で定年退職した。正憲氏には息子2人がいて、将来的に旧宮家皇籍復帰の可能性が高い。