ここでは史実での長門型戦艦について解説する記事である。
概要
金剛型で得たイギリスの超弩級戦艦建造技術を、扶桑型や伊勢型の開発を経て日本独自のものへと昇華し、満を持して八八艦隊計画により建造された初の純日本産の超弩級戦艦である。
建造された1920年当時、「世界最大・最強・最高速」の戦艦であった。ワシントン海軍軍縮条約で長門型と同等の16インチ砲(41cm砲)搭載戦艦の建造が規制されたこともあって、アメリカのコロラド級戦艦(3隻/1921年)、ネルソン級戦艦(2隻/1927年)と共に「世界のビッグセブン」と讃えられた。しかも速力ではコロラド級の21ノット、ネルソン級の23ノットよりも優れる約26.5ノットを記録している。
なおこのカタログスペックは機密であり対外的には23ノットとされていたが、関東大震災の際に長門が救援物資を載せて東京へと最大速度で急行した際、それを偶然発見して追跡したイギリス軍に発覚してしまったというエピソードがあるほか、レイテ沖海戦においても、当時の長門より速力で2ノット以上勝る戦艦大和に平然と並走していたなど、金剛型戦艦ほどではないにせよ、相当な健脚の持ち主であったようだ。
また日本独自の設計が多い(実はタービン主機の基本設計や歯車減速装置はアメリカ製だというのは秘密)本型だが、大きな問題を起こさず、日本の軍艦建造技術が世界レベルに到達していたことが証明された。しかも伊勢型の反省から、主砲塔の減少に伴い居住区を広く取れたため、乗員からも歓迎され、居住性も大和型戦艦を除けば日本艦艇中最良のものとなった。
その高性能ぶりは、時代が進む中でも昭和9年から行われた近代化大改装によって維持され続け、ネルソン級や各国の35,000トン級新型戦艦(アメリカのノースカロライナ級戦艦、イギリスのキング・ジョージ5世級戦艦、フランスのリシュリュー級戦艦、イタリアのリットリオ級戦艦、ドイツのビスマルク級戦艦)にも対抗できる性能を、額面上は保ち続けた。
長門型戦艦は第二次大戦期においても「最強の旧世代戦艦」と言える。
上記のことや、連合艦隊旗艦を何度も務めたことから、日本国民にとって長門型は日本海軍の象徴であり、当時の子供達も「大好きな戦艦は何か」と聞かれればこの長門型(特に長門)と即答し、写生するときの題材にも必ず挙がったと言われている。
ちなみに本艦級の設計には造船の神様と呼ばれ、軽巡洋艦「夕張」の設計にも携わった平賀譲とそのライバル藤本喜久雄も携わっていた。しかも改装前の長門型で有名な湾曲した前煙突は藤本喜久雄の発案であり、それを平賀譲が勝手に採用したという、二人の対立を深めたエピソードもある。
また一番艦「長門」と二番艦「陸奥」に続いて、三番艦「加賀」と四番艦「土佐」の建造もされていた。この加賀以降の二隻は長門型を改良したものであり、改長門型あるいは加賀型とされていた。だがワシントン条約によって戦艦保有数が制限され、あえなく加賀と土佐は建造中止・解体され、航空母艦へと改装予定であった天城型へ資材として再利用される予定だった。しかし関東大震災で天城型一番艦「天城」が大破してしまったため、急遽代艦として加賀が改装対象に選ばれ、晴れて航空母艦「加賀」として竣工したのだった。
ちなみに四番艦の土佐は砲弾や魚雷の実験に用いられ、その後の艦艇の防御力強化や九一式徹甲弾の開発につながった。
同型艦
関連タグ
サイボーグ009:TVアニメ第1期16話にて、息子を太平洋戦争で亡くした超能力者が太平洋の海底から蘇らせ、アメリカに復讐しようとした。反戦の色が強かった『009』内でも最も異色なエピソードとなっている。