プリンス・オブ・ウェールズ
ぷりんすおぶうぇーるず
曖昧さ回避
イギリス王太子の称号
イギリスには国王の太子を表す言葉はあっても、称号としてはないため、ウェールズの大公(公爵)が「イギリス王太子」の代名詞となっている。
1282年、イングランド国王エドワード1世はウェールズ大公ルウェリン・アプ・グリフィズを敗死させ、ウェールズを併合した。反乱を抑えるため、ウェールズで王妃に子を産ませ(後のエドワード2世)、この称号を与えた。
これにより、イングランド国王の男子の長子(不在の場合は男子の第一継承者)がこの名称を継ぐことが慣例となった。該当者がない場合は空位となる。
結婚していた場合、妻にはプリンセス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公妃)の称号が与えられが、現在のチャールズ王太子妃カミラは、前妻ダイアナ妃に配慮して名乗っていない。
キング・ジョージ5世級戦艦2番艦「プリンス・オブ・ウェールズ」
イギリス海軍の建造した2代目キング・ジョージ5世級戦艦の2番艦。
艦名は建造当時の国王ジョージ6世の兄王エドワード8世の即位前の称号に由来する。
性能諸元(竣工時)
艦歴
この戦艦はデンマーク海峡海戦においてビスマルクと対戦し、艦橋に被弾、要員が全滅すると言う被害をこうむる(生き残ったのは艦長他1名のみ、なお、イギリス海軍はこの戦いで巡洋戦艦「フッド」を失う)。
その後首相一行を乗せアメリカ合衆国との条約(大西洋憲章)締結のため大西洋をわたったのち、地中海にて船団護衛任務に就く(なお、この際味方の飛行機を2機撃墜してしまう)。
その後東洋艦隊に大日本帝国海軍の抑止を目的として配置される。
太平洋戦争開始後、マレー半島沖にて、日本の航空部隊(一式陸上攻撃機、九六式陸上攻撃機)と戦闘、魚雷および爆弾により巡洋戦艦「レパルス」とともに沈没。
余談
この戦艦は独自なスタイルを持っているが、美しさから人気のある船のひとつである。
なお、この艦艇はウィンストン・チャーチルのお気に入りであり、沈没の報告を聞いた彼は第二次世界大戦の中で最も衝撃的な事実と後に記述している。
当初は最新鋭戦艦という宣伝効果の為に完成したばかりのキング・ジョージ5世級三番艦のデューク・オブ・ヨークのシンガポールへの回航をチャーチルは希望したが、流石に錬度などに不備がある為に次に新しい本艦に白羽の矢が立ったとも言われる。
クイーン・エリザベス級航空母艦「プリンス・オブ・ウェールズ」
クイーン・エリザベス級航空母艦。
新型空母の二番艦としての名称は決定しており、現在建造中であるが、現状では正規空母として使用されず、ヘリ空母として運用される、あるいはインドに売却される可能性が存在する。