白露型時代
夕立、村雨、五月雨、春雨の4隻が所属。この内、夕立、村雨、五月雨はサービス開始から実装されており、2014年8月9日のAL/MI作戦において春雨が実装された事で結成する事が出来るようになった。
ちなみに最初から四水戦所属ではなく一水戦に所属していた事も有り、当時の一水戦旗艦は川内だった。
五月雨は当初から図鑑のコメントで「村雨・夕立・春雨とは第二駆逐隊でお友達でした。」と語っている。
四隻のうち、夕立は第三次ソロモン海戦で素敵なパーティをして暴れまわった後に沈没。
また村雨も米艦隊が実用化したレーダーによる一方的な夜間砲撃で撃沈され、喪失。
二隻を失い残された春雨と五月雨は、1943年7月に同じく時雨と白露の二隻だけ残っていた第二十七駆逐隊に編入され、これをもって第二駆逐隊は消滅した。
2017年6月23日の由良改二実装と同時に、第二駆逐隊全艦(村雨・夕立・春雨・五月雨)を必須とする編成任務『新編「第四水雷戦隊」を編成せよ!』が登場。
第四水雷戦隊隷下という事で二次創作等では那珂の直属といったイメージがあるが、寧ろ第二駆逐隊として史実での繋がりが強い第四水雷戦隊旗艦は由良の方である。
2018年1月現在、当駆逐隊では村雨改二・夕立改二が実装済み。
夕雲型時代
しかしその後、1944年8月に夕雲型駆逐艦で編成された駆逐隊として第二駆逐隊の名称が復活している。
早霜と清霜が所属していたのがそれである(「秋霜」は未実装)。
こちらも早霜がレイテ沖海戦で座礁放棄、秋霜が多号作戦で大破着底し、その後第三十一駆逐隊から朝霜が転属し二隻体制となる。
しかし清霜は礼号作戦で戦没し、残された朝霜は1945年2月に第二十一駆逐隊に移動したことにより解隊となった。その朝霜も同年4月天一号作戦にて戦没してしまっている。
戦後、マニラ湾にて終戦を迎えた秋霜は曙(吹雪型駆逐艦18番艦)・木曾(球磨型軽巡洋艦5番艦)ともども放置されていたところを1955年にサルベージを受け、解体された。他方、セミララ島の浅瀬で放棄された早霜は、現在もそれらしき残骸が残されていることが航空写真から確認できるものの、現地の治安が不安定なこともあり、早霜のそれであるとは断定されていない。
このため、夕雲型駆逐艦全体を通して、はっきり終戦を迎えたことが確認されているのはいまのところ秋霜のみである。
その名を継ぐ者たち
また海上自衛隊の護衛艦「むらさめ型」には初代・二代目とも白露型時代の第二駆逐隊の名前が受け継がれている。
初代は「むらさめ」・「ゆうだち」・「はるさめ」の全3隻で「さみだれ」はないが、二代目の時に全てそろった(こちらは全9隻)。1番艦「むらさめ」、2番艦「はるさめ」・3番艦「ゆうだち」・6番艦「さみだれ」がこれらに該当する。
後者では、吹雪型駆逐艦に由来する「いなづま」「いかづち」「あけぼの」がそれぞれ5番艦・7番艦・8番艦、初春型駆逐艦に由来する「ありあけ」が9番艦として、上記4隻と姉妹関係にある(4番艦は日本海軍由来ではない「きりさめ」)。