ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

山田花子(漫画家)の編集履歴

2018-05-31 22:07:48 バージョン

山田花子(漫画家)

やまだはなこ

故人。月刊漫画ガロを中心に活動していた日本の女性漫画家。

人物

1967年6月10日東京都生まれ。本名は高市由美(読み:たかいち ゆみ)。血液型はA型。


3歳の時に世田谷区経堂から南多摩郡多摩町(現在の多摩市)に転居し、そこで21歳まで育つ。内気な子供で友達と遊ぶよりも独りで空想したり、絵を描いたり図鑑や絵本を読むことを好んだ。


小学生時代は、父親の影響で赤塚不二夫楳図かずお小林よしのり里中満智子新田たつおジョージ秋山藤子不二雄日野日出志水木しげるらの漫画に熱中。それらの漫画本に貸出カードを作り、「マンガ図書館」と称して友人に貸し出していた。


しかし、中学生になってからいじめに逢うようになり、自傷行為と自殺未遂や人間不信に陥る。いじめはその後進学した先の高校でも遭い(これをきっかけに高校を中退している)、こうした暗い経験こそが彼女の作風に大きな影響を与えた。


中学3年生の頃に投稿した「明るい仲間」がなかよしギャグ漫画大賞の佳作に入選する。当時のペンネームは裏町かもめ。この作品が翌年1983年なかよしDX1月号に掲載される。


そして誌の1983年4月号に実質的なデビュー作となる「大山家のお子様方」を掲載。その後も「人間シンボーだ」を連載した。この時期にペンネームを山田ゆうこに変更する。この頃から画風が一転してシュールになる。彼女が大いに尊敬していた月刊漫画ガロの漫画家の一人、根本敬にファンレターを出し推薦を受けるも連載はもらえなかった。


その後1987年、「人でなし」がヤングマガジンの月刊奨励賞を受賞、同誌で「神の悪フザケ」を連載する。1989年5月に初の単行本「神の悪フザケ」を出版、同年8月から月刊漫画ガロに連載を開始し、それからは当刊を主な活動の場とすようになった。

エピソード

  • メモ魔として知られており、どんなに些細な出来事も、とにかく積極的にメモしていた。
  • 藤子不二雄作品は『魔太郎がくる!』を愛読していた。
  • イベントなど人前に出るときにはベレー帽セーラー服の恰好で登場する事が多かった。
  • 好きなアーティストとして、筋肉少女帯人間椅子たま電気グルーヴ大槻ケンヂ戸川純あがた森魚原マスミなどを挙げていた。
  • 妹(本名:高市真紀)と音楽活動も行っていた。彼女が遺した音源は、1996年に青林堂から限定販売された作品集『魂のアソコ』に付属のCDとして収録された。
  • 彼女の日記には、自身の徹底した悲観主義を破滅型自虐ナルシズムと名付けて他人事のように客観視して扱うことで「生きる事の絶望」を乗り越えようとしていた記述がある。

晩年

1991年頃から自分の描くためにバイトで生活して漫画を趣味にしようと考え、10以上の面接で落とされた結果、同年7月に喫茶店でアルバイトを始める。しかし、仕事に上手く馴染めなかった為に解雇された。

解雇後の1992年2月からは精神に異常をきたし、実家でも異常な言動を取るようになった。そして翌月、統合失調症の診断により入院。

退院した翌日の5月24日日野市にある団地の11階から投身自殺を図り、死去。享年24歳。


自殺の件は当時、地元の新聞では以下の内容で実際に取り上げられていた。



団地11階から飛び降り死ぬ

二十四日夜、日野市百草、住宅・都市整備公団「百草団地」一街区五の三で、女性が二階屋根部分に倒れているのを住民が見つけ、一一〇番通報した。この女性は多摩市内の無職A子さん(二四)で、間もなく死亡した。十一階の通路にいすが置いてあり、このいすを使って手すりを乗り越え飛び降りたらしい。(日野署調べ)



自殺の件については、翌年1993年に太田出版より出版され、後に社会現象を起こした『完全自殺マニュアル』(著:鶴見済)の「投身自殺」の項目でも取り上げられている。


根本敬は彼女の自殺について、「実は山田花子は、絶望、絶望、絶望に次ぐ絶望、更に幾つかの絶望を越えた果てに、燦然と輝く桃源郷がある事を予見していた節もあるのだが、生きながらえたままそこに辿り着くには、気力、体力共、余りにしんどかったわけだ」と語っている。


他にも、彼女は自殺の前日に密教の世界観や悟りの境地を表した曼荼羅を無言のまま一時間近く眺めていたという。

作品の特徴

スター・システムを採用しており、各作品に定番のキャラクターが登場する。

なかよし時代の作品は、友達のいない子の人付き合いや、人と話したりする時の悩みや苦しみなど不器用な人生を送っている人たちを滑稽に描いた不条理4コマ漫画がほとんどで、「日記まんが」と自称したこれらの漫画群は、漫画家養成専門学校の講師から「ヤマもなければオチもない」と評価されていた。

それに、なかよし時代は丸っこい古典的ギャグ漫画調の画風だが『神の悪フザケ』などでは荒々しくギクシャクした線に変化しており、作品の内容もより深く人間の業や闇を掘り返すような方向に進んだ。


根本敬は、「山田花子は実は絵が非常に上手く、どんな絵でも描ける」と評価している。しかし表面的な絵柄の猥雑さやストーリー展開の不条理さなどから、作品の真価を理解できない者も多かったと見られ、漫画家として順風満帆の歩みだったとは言い難い部分もある。


また、彼女が一貫して漫画に描き続けた共通のテーマは、世の中と人生の不条理や、自分自身のような生きる事が不器用な人間が抱えている闇や苦しみなどと言った物だった。

作品一覧

漫画

  • 神の悪フザケ

彼女の代表作にして、初の連載作品。彼女が学生時代に受けていたいじめ経験などが元となっている。週刊ヤングマガジンにて1988年1月から1989年2月まで連載されていた。

  • 嘆きの天使
  • 花咲ける孤独
  • 魂のアソコ
  • からっぽの世界

著書

亡くなってから4年後に太田出版より出版された自伝本。彼女の父親らの手によって製作され、彼女の生い立ちと経歴や生前書いていた日記やメモなどをまとめた内容となっている。

2年後の1998年9月には同社より、読者のコメントや未発見だった日記やメモなども加えた完全版の『自殺直前日記 完全版』が出版され、その16年後の2014年2月には鉄人社より復刻版の『自殺直前日記 改』が出版された。

出演

映画

関連項目

 同じ1967年生まれで、同じく自殺したガロ系の女性漫画家。

同じガロ系漫画家の一人。彼女が師匠として大いに尊敬し、大いに影響を受けていた漫画家の一人でもある。

ブロガー、Web漫画家、イラストレーター、ネットラジオ放送主としても幅広く活動していた故人の男性ワーキングプア。彼女を尊敬する漫画家の一人として挙げていた他、彼女の影響を大いに受けていた。

描いていた漫画の主題が共通していて、その絵柄や作風がよく似ている上に、人柄・考え方と生前の生い立ちや生涯などもよく似ており、最期はわずか20代前半の若さで自殺という同じ末路を辿った。

また、媒体は異なるものの、亡くなる直前までの数年間に渡って日記を集中的に書き綴っていた事も共通する。

関連タグ

故人 ガロ系 月刊漫画ガロ 漫画家 自殺 自殺した人物 社会問題 メンヘラ

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました