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沈黙の日曜日の編集履歴

2021-10-29 00:08:00 バージョン

沈黙の日曜日

ちんもくのにちようび

1998年の天皇賞(秋)でサイレンススズカに起こった悲劇のこと。

さぁ、ここで抑えるような格好…あぁ、ちょっと…サイレンススズカ!

サイレンススズカに故障発生です!

何ということだ!4コーナーを迎えることなくレースを終えた武豊!沈黙の日曜日!


概要

1998年11月1日日曜日に行われた第118回天皇賞(秋)


この天皇賞では、前年の優勝馬であるエアグルーヴエリザベス女王杯に出て、外国産馬であるエルコンドルパサーグラスワンダーは出走資格がなかったため、強力なライバルは不在でサイレンススズカが単勝1.2倍の圧倒的人気であった。騎手である武豊も「堂々とオーバーペースで逃げます」と宣言、厩舎スタッフも「過去最高のデキ」と自信を持つほどであった。


いざレースが始まると、1000m57秒4という圧倒的ハイペースでレースを進めた。しかし第3コーナーの大欅を過ぎたあたりで、突然サイレンススズカが失速、競走を中止した。それでも、サイレンススズカは必死に転ばずにレース外まで足を運んだため、後続の馬と衝突せず、武も大けがをせずに済んだ。レースはオフサイドトラップ柴田善臣)が制している。

 その後、サイレンススズカは左前脚の手根骨粉砕骨折で予後不良と診断され、安楽死の処置がとられた。


 このレースの後、武はワインを溺飲し、生まれて初めて泥酔したという。テイエムオオアラシに騎乗していた福永祐一も、「あれだけ落ち込んだ豊さんを見た事はない」と証言している。なお、武は翌年の天皇賞をスペシャルウィークで優勝し、「ゴールの瞬間、まるでサイレンススズカが後押しをしてくれたようでした」と語っている。


 「沈黙の日曜日」というフレーズは、フジテレビ実況の塩原恒夫アナがサイレンススズカの父サンデーサイレンスとレースが行われた曜日をかけて発したもので、現在でも本レースを形容するフレーズとして定着している。冒頭はその実況。他にもNHK福澤浩行局員や毎日放送(MBS)美藤啓文アナなど「府中の二千に魔物がいた」と実況する者もいた。尚、塩原アナは本馬場入場の際、「どこまで続くポールトゥウイン エキゾーストノートはいらない」と、自身も実況を務めていたF1に引っ掛けたポエムでサイレンススズカと武豊を紹介していた。


 余談だが、サンデーサイレンス産駒はステイゴールド蛯名正義)がゴールの少し前でオフサイドトラップに越されて2着、サイレントハンターはスズカのすぐ後ろを走っていたためにぶつかりかけるも、鞍上の吉田豊の機転で衝突を回避した末に4着、ローゼンカバリー横山典弘)に至っては10着でゴールとなった。


ウマ娘では

 メイン画像のように、実際の競走馬を擬人化したゲームを原作としたアニメ『ウマ娘プリティーダービー』でも再現された。「事故のことを描かなければ、サイレンススズカの物語を描いたとは言えない」とプロデューサー伊藤隼之介の判断から採用が決まった。

 2018年に放送された第1期の7話「約束」にてこのレースが行われ、サイレンススズカは第3コーナーの大欅を過ぎたあたりで骨折。

 ただ、史実と違い、スペシャルウィークが急行し適切な処置が取られた為、大事には至らなかった。

 尚、「沈黙の日曜日」というフレーズだけは使いたくないとの判断から、実況については修正されている。

 その後、ジャパンカップ前日のオープン特別で1年ぶり(史実からは20年)の復帰を果たし、勝利を収めている。


 この第1期第7話の放送当日(2018年5月6日)の朝、競馬情報サイト「netkeiba.com」が、公式Twitterにて前述の「沈黙の日曜日」を引用して同作品を紹介。放送翌日(5月7日)には、同サイトに掲載されているサイレンススズカのページへのアクセス数が急増、サイト内アクセスランキングで1位を記録している。


 なお、オフサイドトラップは未登場であり、史実だとオフサイドトラップと同じ馬主であるエルコンドルパサーが優勝した。


 ゲーム版で天皇賞(秋)をサイレンススズカが制すると、実況が特殊なものになる。

「坂を上って尚加速していくサイレンススズカ!

 二番手は追い付かない、二番手は絶対に追い付かない!

 なんと騒がしい歓声か! どれほど待ち望んだ光景か!

 『異次元の逃亡者』サイレンススズカ、サイレンススズカ!

 G1・天皇賞 秋、1着は、サイレンススズカー!

 栄光の日曜日! 1着は、1着はサイレンススズカ!!」


関連動画

実況:塩原恒夫

解説:吉田均(競馬エイト)

解説:東信二(元騎手、1987年 皐月賞菊花賞サクラスターオー)勝利騎手)


※東騎手も1987年有馬記念で、騎乗していたサクラスターオーが左前脚の故障を発症し、闘病の末翌1988年5月に死亡するという悲劇を経験しており、これ以降、自身の成績も低迷した。

関連タグ

競馬 予後不良 天皇賞

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