タイテエム
たいてえむ
概要
タイテエムとは、日本産の競走馬。
持込馬ではあるものの、クラシック5大競争及び天皇賞への出走規制が敷かれる直前の母馬輸入・出産であったため、クラシック・天皇賞へ出走することが出来ている。
四白流星(四肢の先が白く、顔に流星が入る)の毛色と、その血統の良さから「貴公子」と呼ばれた優駿である。
プロフィール
経歴
デビュー前
1969年4月14日。北海道浦河町において、四肢の足先が白く染まった四白流星の華やかな馬体の仔馬が誕生した。
母であるテーシルダはイギリスで交配され、後にタイテエムとなる仔を受胎した状態で日本にやってきた。
そのため、タイテエムはのちの時代のエイシンフラッシュなどと同じ持込馬となる。
母父は、イギリスでセントジェームズパレスステークスなどを制したヴェンチア。父、母父ともに申し分ない良血馬だった。
タイテエムが誕生した頃の競馬界には、あるジンクスがあった。
「見かけの派手な馬は大成しない」
というものである。
前述の通り、タイテエムは四白流星の派手な馬体だったためになかなか買い手がつかず、牧場に訪れた関西調教師界の大御所、武田文吾も敬遠するような状態だった。
その後、武田と入れ替わりでやってきた橋田俊三調教師(サイレンススズカ等の調教師・橋田満の父)に見いだされ、買い手が見つかることになる。
デビュー~2歳
栗東の橋田俊三厩舎に入厩し、1971年10月に鞍上へ楠孝志を迎えてデビュー。単勝1番人気に推されるも8着と惨敗。
初年は3戦1勝で休養入りし、鍼治療の施術を受けることになった。
3歳時
1972年は鍼治療の効果もあってか調子が好転し、弱かった腰も良好な具合に仕上がっていた。
楠に代わって須貝四郎(ゴールドシップ等の調教師、須貝尚介の叔父)を鞍上に向かえると、休養明けにさわらび賞とやまぶき賞を制し、早速2連勝。
当時は馬インフルエンザ流行の関係で春の競走スケジュールに遅れが生じており、クラシックへの出走を見越して東上。スプリングステークスでは阪神3歳ステークス馬ヒデハヤテを破って一躍クラシック有力候補となる。
皐月賞
そして迎えた皐月賞
レースにはタイテエムのほかに、当時無敗で「重戦車」の異名を持つロングエースも出走登録を行っており、タイテエムとロングエースの一騎打ちが期待されていた。
ゲートが開くと、タイテエムは中団付近を追走し、大外に持ち出して直線で先頭に立つが、背後から吸収してきたランドプリンスに差されたのち、後退して掲示板外に敗北。
勝馬は野武士と称されたランドプリンスであった。
4歳時
1973年は京都金杯よりスタートするも4着。レース後は腰を気にする様子があったため休養した。休養明けのマイラーズカップでは、病気により騎乗ができなくなった須貝四郎に代わって兄の須貝彦三(後にゴールドシップやソダシを担当する須貝尚介調教師(元騎手)の父)を鞍上に迎え、不良馬場を克服して勝利。
そのまま春の天皇賞に向かうこととなった。
引退後
引退後は種牡馬入り。シンチェストやコーセイなどを輩出し、内国産種牡馬不遇の時代に一定の成績を残した。
1992年に種牡馬からも引退。馬主が北海道に用意したメイタイ牧場で余生を送っていたが、満足に歩けなくなるほど老衰が進み、1994年10月23日に老衰で死去した。享年25歳(旧馬齢表記)
余談
ウマ娘にオファー
2022年1月1日、メイタイ牧場を前身とする「メイタイファーム」が公式Twitterを開設。そこで以下のツイートを投稿した。その内容がこちら。
- こちらは所有馬のタイテエムが1973年に春の天皇賞を制した際の盾(レプリカ)です。四白流星の貴公子タイテエム、**ぜひ最年長ウマ娘に採用していただけたら何よりですので関係者の皆様、ご検討よろしくお願いいたします**。
- タイテエムが天皇賞を勝ったのは今から約49年前で、牧場にもタイテエムの血を引く馬は残っていませんが、新しい競馬ファンの方々、そしてウマ娘ユーザーに知って頂くことで末永く皆さんに愛されて欲しいという思いもあり、牧場アカウントを開設した次第ですので、今後ともよろしくお願いいたします。
まさかのタイテエムのウマ娘化オファーツイートだったことで大きな話題を呼んだ。
ちなみに、馬主側から「ウマ娘にしてほしい」というオファーが来たのは、メイケイエールに続いて2例目。
しかし、2021年現在でバリバリ現役のメイケイエールと違い、タイテエムはすでに引退していることから、ウマ娘への実装はさほど難しくないと思われる。
また、現在ウマ娘になっている馬で最年長は、1974年生まれのマルゼンスキー。タイテエムは1969年生まれなのでその歳の差5歳。
ウマ娘のなかで元ネタが一番若いキタサンブラック、サトノダイヤモンドと比べると、その差なんと44歳。まごうことなき最年長となる。