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タイキシャトルの編集履歴

2022-08-18 12:31:46 バージョン

タイキシャトル

たいきしゃとる

1994年生まれの競走馬。1998年JRA賞年度代表馬受賞。顕彰馬。史上最強マイラーと評される事が多い。

誘導


概要

1994年3月23日、アメリカのTaiki Farm(大樹ファーム所有)で生産された競走馬で、1990年代後半にJRAの短距離レースで活躍した。

牡馬で毛色は尾花栗毛


父:デヴィルズバグ 母:ウェルシュマフィン(母父:カーリアン

馬主:大樹ファーム

所属:藤沢和雄厩舎

主戦騎手岡部幸雄


主な勝ち鞍はマイルチャンピオンシップ(1997年/1998年)、スプリンターズステークス(1997年)、安田記念(1998年)、ジャック・ル・マロワ賞(1998年)など。

1999年のJRA賞年度代表馬顕彰馬に選出された。

2022年8月17日、老衰による心不全の為死去。


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ヒーロー列伝No.45

【世界を制覇した夏。】

ワールドカップの余韻さめやらぬフランスに、JAPONの文字が鮮烈に踊った。

シーキングザパールに続く2週連続の日本馬による海外G1制覇……。

ドーヴィル競馬場、芝1600mの国際G1レース「ジャック・ル・マロワ賞」に挑戦した

タイキシャトルは、2着に1/2馬身の差をつけて世界の強豪たちを圧倒。

世界に「日本馬ここにあり」を強烈に知らしめた。時あたかも1998年8月…。それは、

日本馬の世界挑戦の歴史に燦然と輝く1ページとして、永遠に記される夏となった。


2011年JRA CM安田記念

98年 安田記念

大雨のなかの無敵、タイキシャトル。

可能性は人を熱くする。

名馬の肖像2017年安田記念

【高く飛べ】

瞳にうつるのは

ただこの一戦の勝利ではなく

ゴールの先に広がる未来。

湿った芝を滑走路にして

いま大器は羽ばたく。


風に乗って往け。

誰よりも高く飛べ。

荒天なれど視界は良好。

勲章を手にして帰還することが

君に課されたミッションだ。


戦績

1997年4月19日東京競馬場でデビュー。主戦騎手は岡部幸雄(97年スワンステークスとマイルチャンピオンシップのみ横山典弘が騎乗)。

ユニコーンSで重賞初制覇、スワンSで重賞2勝、同年のマイルチャンピオンシップでGI初制覇、スプリンターズステークスも優勝。

マイルチャンピオンシップでサイレンススズカと対戦。逃げたキョウエイマーチにサイレンススズカが並びかけた結果、前半800mのラップが44.6秒、1000m56.5秒の殺人的な超ハイペースに。その結果逃げ馬のみならず後続馬もろともバテバテとなり、3番手追走のヒシアケボノも失速する中でタイキシャトルは4番手から出走馬中最速の上がり3ハロン36秒1で抜け出した。

キョウエイマーチはハイペースの逃げから2着に踏み止まったが、サイレンススズカは15着。

この世代は、春の安田記念でスピードワールドが不本意な臨戦過程ながら3着に入り、タイキシャトルが前走のスワンステークスで優勝し、マイルチャンピオンシップの人気でも着順でも上位を占めた。

この年、JRA賞最優秀短距離馬受賞。年度代表馬はエアグルーヴ


1998年6月14日、欧州遠征を前に挑んだ安田記念。前述のJRA CMでもあるとおり、多摩地方の大雨で稀に見る昭和47年以来26年ぶりの超不良馬場の中で行われたが、97年香港ダービー馬オリエンタルエクスプレス(鞍上ダグラス・ホワイト)らを尻目に「日本に敵はいない!」とばかりに安田記念を制覇。

1998年6月14日 東京競馬場

実況:渡辺和昭(ラジオたんぱ


同年、海外遠征しジャック・ル・マロワ賞で優勝し、日本馬として史上2頭目の海外G1制覇達成。鞍上の岡部幸雄騎手は自身初の海外G1制覇となった。


帰国後マイルチャンピオンシップ史上3頭目の連覇、史上3頭目の古馬マイルGI春秋制覇。


ラストランのスプリンターズステークスは3着で、レース後に引退式が行われた。


この年のJRA賞では最優秀短距離馬、最優秀5歳以上牡馬を受賞し、史上初めて短距離馬として年度代表馬に選出されている。


産駒

1999年シーズンから種牡馬となる。



種牡馬引退後

2017年に種牡馬を引退、引退馬協会のフォスターホースとなり、イーストスタッドに預託され、同牧場で繁養されていた2歳下で同じくフォスターホースのメイショウドトウと仲良しに。以降はメイショウドトウと行動を共にすることが多くなり、翌年の2018年にはドトウ共々ヴェルサイユリゾートファームに移転。翌年1月にはドトウ共に去勢手術を受け無事成功。2021年にはこれまたドトウと一緒にノーザンレイクファームに移転し、ドトウやキリシマノホシ号、タッチノネガイ号、その産駒のタッチデュール号、猫のメトらと共にのんびりと余生を過ごしていた。


2022年8月17日、老衰による心不全の為死去した。前日まで夜飼いと人参、黒砂糖一粒を食べるなど普段と変わらず食欲旺盛で元気だったが、翌朝5時ごろには既に息を引き取っていたという。

馬房の中は特に荒れた様子もなかったことから、就寝中に天国へ旅立ったと見られる。

奇しくも自身が制したジャック・ル・マロワ賞が3日前に開催されたばかりだった。

28歳没、最強マイラーにふさわしい大往生だろう。

ウマ娘のタイキシャトル役の大坪由佳もTwitterにて、追悼ツイートをした

ご冥福をお祈り致します。


おやつタイム終了で諦めるタイキシャトルと諦めきれず粘るメイショウドトウ。


関連項目

JRA 97世代 マイラー 大樹ファーム

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