概要
「人間」と「生きる」をテーマにしたオムニバス形式のRPG『ライブアライブ』。そのキーワードが、「オディオ」と呼ばれる存在である。
最初に選べるシナリオは7つあり、そのいずれにも「オディオ」は何らかの形で登場する。しかし、その名前の共通性には深い理由があった。
全てのシナリオをクリアする事で選択できる8つ目のシナリオ「中世編」にて、全てがハッキリする。
まずはオルステッドの項目を参照してほしい。
そして、8つのシナリオを全て終えると魔王オディオの存在が明らかになり、同時にそれは最後の9番目のシナリオ「最終編」の合図でもある。
その最終編では、主人公を1人だけ選んで物語の続きを進める事になる。
魔王山の山頂に現れた新たなる魔王
最終編でオルステッド以外の主人公を選んだ場合、選んだ主人公のシナリオのエンディング中に、突然謎の声から語りかけられ、ルクレチアの地へ誘われる。
そこは見知らぬ地でありながら、どこにも住人すなわちこの世界の人間が見当たらない荒れ果てた世界に誘われた者はさすらう。そして同じく誘われた者と遭遇し、手を組んでいき、ついに辿り着いた魔王山の山頂に現れた者こそこの地に7人を呼び寄せた声の主こそ魔王オディオであった。
魔王は呼び寄せた彼らに何かを知らしめようとしていたのだった…。
山頂の魔王像
魔王山には7つのオディオの像が並ぶフロアがあるが、魔王オディオのだけは何故か見当たらない。山頂にある謎の甲冑の像が魔王像と思われる。
ただしその石像は中世編に登場した魔王、オルステッドならびに変貌したピュアオディオのいずれとも似通っていない。
結局、これらの魔王像が一体何なのか誰が創り出したのかの真相は物語でも語られていない為謎のままだった…。
特に山頂のものは…(後述)
魔王の終焉
最後の戦いに敗れ去った魔王オディオは、人間であるオルステッドの姿に戻る。
ここでとどめをさすよう言われるが、ここでの選択はエンディング分岐の条件となる。
とどめをささなかった場合、下山しようとする面々にオルステッドが追いすがり、他のオディオたちを全主人公へそれぞれ一斉にぶつけてくる。
私を倒しても‥‥
私は永遠に生き続ける‥‥
知るが良い‥‥
『オディオ』の意味を!
それは‥‥
太古の昔より‥‥
遥かなる未来まで!
平穏なる時も‥‥
混迷の世にも!
あらゆる場所!
あらゆる時代に!!
戦いの火種となるものッ!!
それは人間が存在する限り
永遠に続く『感情』なのだ‥‥
その感情の名を‥‥
『憎しみ』あるいは‥‥
『オディオ』というッ!!
それをも退けると、オルステッドは「オディオである自分たちとそうでないお前たちは何が違うと言うのか」と訴える。
だが、選んだ主人公は中世編のオルステッドと違って自分の意思で生きようとする描写が多かれ少なかれあり、この問いに対しての自分なりの答えを持っていた。
それを聞いたオルステッドは納得。しかしオディオ(憎しみ)に終わりはないことを警告し、塵となって消え去っていった。
私が消えれば‥‥
お前達もそれぞれの世界に帰れる‥‥
だが‥‥覚えておくがいい‥‥
誰しもが魔王になりえる事を‥‥
『憎しみ』がある限り‥‥
いつの世も‥‥
トドメを刺した場合
トドメを刺す選択をすると最終編主人公として選んだキャラとの1対1の対決となる。なお、トドメを刺すのを懇願した癖にオルステッドは一応攻撃はしてくる。
トドメを刺すとオルステッドはあの人物の名前を口にして事切れる。トドメを刺した側はやり切れないセリフを口にし、そこで後味の悪い終わりを迎える。
リメイク版ではさらにこのやり切れない末路を迎え、スタッフロールでパーティメンバーが一人また一人とその場を去っていき、絶命し倒れたオルステッドが残った形で終わる。
最終編・オルステッド
言うならば、こちらは中世編の直後ともいう性格である。
人間‥‥
所詮は己の欲望の為に生きる動物‥‥
いや、動物にも劣る‥‥
獣とて空腹の時以外は‥‥
必要以上に命を奪わぬもの‥‥
だが‥‥人間は違う‥‥
人間はそれに留まらず、果てしなく欲望を抱く‥‥!
教えてやらねばならぬ‥‥
己の勝利に酔いしれ、敗者を顧みない者達に‥‥!
どのような手段でルクレチアの人間を滅ぼしたのかは描写されていないが、滅ぼし尽くした後とされる場面で魔王山頂上に佇む魔王オディオ。人間の浅ましさや愚かさを改めて憎しみの原動力に動き出す。
人間への復讐のために動き出した魔王オディオだが、その方法は大きく違った。
その内容とはなんと、人間を根絶やしにするため、本編のボスを操って他の主人公たちを皆殺しにするというものだった。
口おしかろう‥‥
お前達とて‥‥自分の欲望‥感情のままに‥‥素直に行動していただけなのだから‥‥
ただ‥‥お前達は敗者ゆえに悪にされてしまった‥‥
そう‥‥
勝った者こそが正義なのだ!歴史とは勝者の歴史なのだ!!
敗者には‥‥明日すらもないッ!!
ならば‥‥
はるかなる場所も‥‥遥かなる時をも超え‥‥その歴史を変えてみせよう‥‥!
この7つの石像と!この私の持つ‥‥『憎しみ』の力で!!
戦うのだ‥‥『憎しみ』の名を持つ者達‥‥
我々は‥‥
敗者ではないッ!!
そしてオルステッドは、誰にも負けていないにも関わらず、その存在をもはや周囲から悪として見られてしまっていた。
自らの存在意義を喪失したオルステッドは、新たな存在意義、ある意味では心の拠り所という希望を得るため、魔王となる道を選んだ。
リメイク版では他のオディオと同じ赤い瘴気に覆われ、さらに体全体が真っ黒になるなど、ストレイボウと同じ変質を遂げている。これに加えてオルステッドとの違いは眼光が赤く輝き、深紅のマントを羽織っている事である。そして中世編の現在位置を知る事のできるマップは魔王山を除いて地名から何から血で塗りつぶされている異様な物となっている。
他の主人公とは異なり、この行動原理にはやや不自然な点がある。
- 人間を憎むという目的から逸れた戦いがいくつか見られる。
- 現代編・功夫編はどちらが勝っても勝者は人間であるため、人間を滅ぼす目的に合致するという証拠が足りない。
- SF編はオディオが搭載されているのがたかだか1隻の民間輸送船であり、勝利してもSF編の描写を見る限り消息不明になるので、輸送船が1隻宇宙のチリになるだけである。
しかし、この時の彼が「勝者・敗者」という視点を(なぜか)優先して行動しているのであれば、辻褄は合う。
作中を見る限り、そのきっかけが中世編ラストの「ストレイボウの裏切り」「アリシアの心離れ」で登場したセリフに見出すことが可能。以上を以って「魔王となってもかつての友人や姫の意見を取り入れた行動を取るあたりに人の良さが出ている」という考察もあったりする。
また、この時の魔王オディオと、各時代のオディオに共通点を見出すとすれば、「横の関係を持つ仲間」が存在しない、孤独な立場であることが挙げられる。他者との接点を持つオディオはいても、それは縦の関係でしかないため、「部下」であっても「仲間」ではない。オルステッドの辿った道を思い返せば、「仲間という存在の否定」は魔王としての十分な行動動機になる。
ともあれこうして、当時のRPGとしては極めて珍しい、それまで敵だと思っていた人物に立場を移して、歴史をやり直すための戦いが始まるのである。
最後の手段「ハルマゲドン」
本編のボスは、ボスと言うくらいだから、そう簡単には倒れない。しかも、オディオ本人の強さを上乗せしているため、負け戦のようなバランスであっても容易くひっくり返すことができる。
しかし、それでも場合によってはピンチに陥ってしまう事もあるかもしれない。もしも負ければ、彼にとって最も憎い人間が世界に繁栄するのを許す結果になってしまうだろう。
しかし彼にはもしもの時に備え、最終手段が使えるのである。
その名は「ハルマゲドン」。
使うと全ての世界・全ての時代を跡形もなく吹き飛ばす。という何もかもを無に還してしまう。
ちなみに他の主人公を選んだ場合でも最終的にはこれら各種オディオと再び戦うことになるが、どれも弱体化しており簡単に勝てるようになっている。だが、リメイク版ではオルステッド主人公時に操るオディオたちもこの弱体化したバージョンなので、油断すると簡単に負ける。
また、ピュアオディオに敗北してもハルマゲドンが発動し、魔王オディオ自身でさえも無に帰す。
なお、いずれの発動するハルマゲドンはクリア扱いにはならないので注意。
魔王の勝利
ルクレチアを滅ぼしただけでは飽き足らず、他の世界の7体のオディオ像を用いて憎しみの力で介入したオルステッド。それらの世界の主人公を完膚なきまでに叩きのめして勝利した。
思い知ったか‥‥幻想に囚われた人間どもよ!
我々こそが‥‥真の勝者なのだ‥‥!
フフフ‥‥ハハハハハ‥‥
ハーッハッハッハッハア‥‥!
ハーッハッハッハッハア‥‥!
彼は、かつての親友かつ人生を壊滅的にした者の様な凶悪な高笑いをし勝利に歓喜していた…。
全ては魔王…いやオディオ達の勝利に終わった。
ただ、同時に彼は何一つ変わらなかった。現状も未来すらも…そしてまたしても彼は失ってしまっていた。憎しみをぶつける対象、そして魔王という存在意義までも……。
血眼で憎しみを向けていた人間たちを滅ぼした後にルクレチアに残っていたのは、伝承で語られるおぞましい姿の魔王ではなくただの1人の人間だけだった。そう、彼が憎み蔑んだ存在であるはずの欲望を持った人間…勝利への欲望に果てしなく溺れた人間が、必要以上に他者の命を奪った人間が…!
人間の裏切りに翻弄され、魔王の幻想にとらわれ自ら魔王となった愚かな最後の人間・オルステッドが…。
これが冒頭で彼が述べた事がそっくりそのままの形で返ってきた……自身が魔王ではなく獣以下と蔑んだルクレチアの人間達と同じである事を証明してしまった皮肉な末路だった。
魔王山を下野した彼はあてもなく誰一人いなくなったルクレチアの地をさすらうオルステッド。中世編のフィールドBGM「届かぬ翼」がこのエンディングで流れた際は違った印象に聴こえた人もいるだろう。もう憎悪の瘴気すら消え失せた彼が最終的にたどり着いたのはオルステッドという人間の物語の全ての始まりだったルクレチア城だった。
城のバルコニーから魔王山を見つめる彼は結局何をその時思ったのか・・・そこで物語は終わりを告げた。
これが本当に彼が望んだ結末だったのだろうか…?
そして他の7人の最終編開始同様「魔王オディオ」のBGMが流れだすが、そのままBGMごとフェードアウトしていく。彼を誘うものはどこにもいない……。
そしてこの物語の〆はこう綴られる。
SAD END(哀しき終わり)と…
その他
なお、オルステッドがオディオになる伏線と思われるものは楽曲にもあり、中世編の戦闘曲「凜然たる戦い」をよーく聴くと、名だたるオディオの名を冠する者達との戦いで流れてきた「MEGALOMANIA」のフレーズの一部が混じっている。
リメイク版では、彼本人のテーマ曲として「魔王オディオに捧げる絶望のフーガ」という「魔王オディオ」の新アレンジ曲が使われる。これは従来のBGM「魔王オディオ」と異なり、魔王となったオルステッドのためのテーマであり、作中に登場したほかのオディオたちやストレイボウには使われていない。まさに魔王に成り果て憎しみに染まった彼故の曲である。
なお、英語表記では「Odio, the Lord of Dark」さしずめ「暗黒卿オディオ」という意味となる。
リメイク版ではセリフウインドウ(フキダシ)が魔王オディオのみ黒くなっている。これによりオルステッドと魔王オディオとは意識(自我)が異なるか、あるいはオルステッドの意識を憎しみが侵食しているのではないかとの考察がされている。
なお、このセリフウインドウはよく見ると石畳のような模様があるものとそうでないものがあり、セリフによってはその変化がある。一体これは何を表しているのだろうか?
謎の多い魔王
その正体には多くの謎があり、多数の考察が各所でなされているが、リメイク版では憎しみに囚われた存在に赤い瘴気がゆらめくという共通点があり、魔王とは「憎しみ」という感情がトリガーになって登場する存在であることがうかがえる。それは真エンド時のオルステッドの科白「誰しもが魔王になりうる。憎しみがある限り」が物語っており、これらを見る限り本作における魔王の定義とはまさに「憎しみ」であると言えそうである。事実、中世編は途中から止めようの無い憎しみに次ぐ憎しみがこれでもかと連なってくる。
また、魔王山に連なる道の入り口付近にはその先のエリアが「禁断の地」である警告看板が立っていること、魔王山は封印されていることから、魔王山に立ち入る事自体が魔王=オディオを生み出す危険性が最初からあったともとれる。
リメイク版での魔王山にあるいくつもの像には、文字が刻み込まれた台座があり、作中の描写を見る限りでは憎しみによる行動で干渉することによって文字が赤く光るという、瘴気との共通性も見出せる。魔王山はかつての魔王によって築き上げられた存在なので、これらの像を作った最初の魔王も憎しみを持っていたことが予測できる。
中世編でハッシュと戦った「魔王と呼ばれた存在」にはこの赤い瘴気がなく、これもハッシュがこのモンスターを魔王ではないと断定したセリフと符合している。
そして、リメイク版に現れた最後にして最凶の魔王の描写を見る限り、どこにもいはしなかった魔王とは「依代となるもの」が無いと実体化ができない、すなわち実体そのものが無い「憎悪の感情」そのものだったとも読み取れる。もしくは魔王山そのものこそが魔王だったとも考えられる。
これを踏まえると、魔王オディオとしての行動すべては、果たしてオルステッド自身が自分の意思で本当に望んでいたものだったのだろうか?
余談だが、中村氏による声が付いた事で高笑いにもインパクトを与えており、文字では「ハーッハッハッハッハア…!」だが、むしろストレイボウの「ヒャーッハッハッハッハア!!」を完全に再現したような発音。
むしろストレイボウ役の程嶋氏の方がオルステッドの「ハーッハッハッハッハア…!」の発音に近い。なんか逆転しているような気が。
なお、全てが終わり魔王山を下野したオルステッドが立ち寄っている場所の中には、実は他の主人公達がルクレチアに呼ばれた際の始まりの場所であるヒントとなっていたりする。ただし、唯一ポゴだけはここを見てもノーヒント。
関連タグ
田所晃:近未来編主人公。近未来編冒頭において唯一の第四の壁を破ってプレイヤーに直接語りかけてくるキャラクター。最終編までの全てを見届けた後に近未来編を開始してこのやりとりを見ると意味が違って見えるかもしれない。登場人物の中では心を読む時・魂の叫びにおいてリメイク版魔王オディオ同様にセリフ(フキダシ)の色が異なるキャラクターである。
同社の直接的な関連がみられる作品
『半熟英雄対3D』
ゲーム開始直後の第1話でボスとして登場。しかし、ストレイボウのパロディ要素が強いうえに、同作ではピュアオディオではなく漆黒の憎悪「ブラックドラゴン」に変貌した。
『インペリアルサガ』
『半熟英雄』とのコラボイベントの際、黒幕であったエッグモンスターのエッグモンスターの「かみ」が、他国同士を争わせて憎しみのエネルギーを吸収しようと目論んだこの計画を自ら「オディオ計画」と話していた(これも時田氏監修)。オディオという存在が憎しみを「利用する」のは原作LALにも存在しなかった要素。
直接関連していないが共通項のある他作品
レイジ(東方ライブアライブ):二次創作に登場するラスボスでありオマージュでもある。
勇者(DQ4):帰る場所も喪った悲劇の勇者という点においては…シナリオも作品では最後に位置する。
ピサロ:起きた悲劇ゆえに人間を憎み、果ては異形となった点では…。なお、時田氏はこのキャラクターが魔族なのに人間くさいと思ったと感想を述べている。
デビルマン(漫画版):時田氏がモロに受けた性悪説の元ネタ。
ルナバハムート:試練ではあるものの、今度はこちらでカインを窮地に陥ったオルステッドの立場にしたらどうなるのかというさらなる逆説的なシナリオになっている。ただし、試練の最終段階ではストレイボウの立場に立たされて出した答えで迎える結末とは…
アナゼル・ディー:幼少期に母親に捨てられた挙句、過酷な状況に晒された果てに暗黒騎士の力を得ており、この世の全てを憎む者になっていた過去がある。
アヤメ:謂れの無い魔女狩りによる虐殺で滅んだ村の生き残りの女性。その凄惨な過去による憎しみを抱いた果ての彼女は、どこにも居もしなかったはずの魔女のような出で立ちとなった。
アナキン・スカイウォーカー/ダース・ベイダー:経緯こそ全く違うが、オルステッドと同様にその身に起きた悲劇ゆえにダークサイドへと堕ちて行った選ばれし者。しかし……
以下はネタバレ込み
Undertale:本作の楽曲「MEGALOMANIA」の影響を受けて作られた曲があると作者が言及しているが、「魔王=プレイヤー説」が真ならば「ゲーム内世界の命運がプレイヤーに委ねられる」「ゲームに対するプレイヤーの立ち位置すら決定を迫られる」と言った要素が共通点となる為、楽曲以外にも影響を受けたと見受けられる。
主人公(Chara):Undertaleにおいてオルステッドに相当するキャラクター。ただしオルステッドがロールプレイングにおけるロール(役割・演者)に過ぎないのに対し、Charaはプレイヤーの”決意”の代行者であるという違いがある。
デトロイトビカムヒューマン:作中のアンドロイドを操り運命を破滅に導いたプレイヤーこそが異常コード「rA9」の正体ではないのかという考察がされている。
仮面ライダーアークワン:仮面ライダーゼロワンにおいてオディオ同様に人類と機械に絶望したことで闇に堕ちた存在。全てを失ったことで悪に堕ちた意味に関しては共通ともいえる。
アークライダー:上記の仮面ライダーゼロワンに登場するアークの名を関するダークライダーの総称。アークワンの様に愛する者を失った事で誕生した者もいるがこちらは悪意さえあれば誰でも世界を滅ぼす魔王の如き存在に変身出来る為同情の余地が無い者も存在する。
ブレイブリーデフォルト・ブレイブリーセカンド:両作品共に同じスクエニの「プレイヤーの立ち位置は何か・選択を委ねられる」作品。特に前者をプレイすると中世編・最終編における本当の魔王とは何かの答えのようなものと言え、この作品では逆に主人公達に加勢する謎の「神界」ならびにその「神界の者」の正体がラスボス戦で判明する。そして後者はある人物の感情と思い出が魔物化したものである事が判明するが…?
ブレイブリーデフォルトⅡ:黒幕の正体がはるか昔の人間の成れの果て。
ニーアレプリカント:同じくスクエニの作品であり、この世界の魔王や魔物といった存在はとある理由で魂だけの存在になった人間であり、主人公達(プレイヤー)の行動が、結果的に人類滅亡の決定的な要因となってしまう為、人類からすれば、主人公達(プレイヤー)こそが滅亡を招いた魔王とその仲間達、と言い換える事も出来る。(ただし悪意あってのことではなく、そうしなければならない事情があった。また、世界自体がその構造上すでに詰んでおり、滅亡が確定している)
ゼルダの伝説 夢をみる島:主人公の目的自体が舞台の滅亡である事をプレイヤーに様々なヒントをくれる石像の一つが暴露する。その舞台の正体が何かが本当のテーマである。
ランスシリーズ:ゲームプロデューサーは、舞台となる大陸を作った創造神をゲームをプレイするプレイヤー自身、と定義しており、それは意外な形で返ってくることになる。また、この世界にも魔王が存在し、一度魔王として覚醒してしまうといくら超人的な精神力で耐えようともやがて限界を迎え、人類、その他の生物に対し暴虐の限りを尽くしてしまう。
もう一方の最終編では…
どこにもいなかったはずの魔王(リメイク版)
概ね原典の7人側と同じ流れだが、7体のオディオ像を撃破した際に唐突にイベントが挟まれ思わぬ異形が権現する。
世界中の憎悪が魔王オディオに集積したその時現れたのは、それはどこにもいなかったはずの魔王…いや、魔王山山頂で誰もが見覚えのある謎の像とほぼ同じ姿でさらに巨大という異形だった。
7人が総動員しても圧倒的な憎悪の力の前には無力であり、ついには一人残らず魔王の前に倒れ戦える者がいなくなった。
そんな中、凶悪な魔王の前に立ち向かう魔王を倒せる力を持った唯一の者が立ち上がる……。
最後のルクレチアの人間、かつて勇者と呼ばれ魔王に堕ちたはずの男が全ての憎しみを終わらせる為に魔王へ剣の切っ先を向けたのである。