概要
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』において梶原景時と大江広元に付けられたあだ名だが回を経るにつれて(前者がドラマ中盤に退場したのに対し後者は最終盤まで登場することもあってか)後者を指すことが多くなった。
景時は11話「許されざる嘘」で、広元は第15話「足固めの儀式」にて、言われるようになった。
特に広元は、中村芝翫が1997年の大河ドラマで演じた戦国武将・毛利元就にその三男で同じく知略優れた小早川隆景の祖先に当たる人物である。元就自身も中国三大謀将の一人(あとの二人は尼子経久と宇喜多直家)で「謀神」の異名を取るほどの策略・調略の使い手としても有名な事から、ファンの間では本作の広元の策謀に対し「さすがは元就の祖先」「血は争えない」との感想もちらほら見受けられる。
経緯
梶原景時
第11話「許されざる嘘」
景時は同族の大庭景親傘下の武将だったが、石橋山の敗戦から巻き返した源頼朝と戦う不利を景親に説くも容れられず景親から離反。その後は鎌倉の自邸で趣味の盆栽を嗜むなど悠々自適な生活を送っていたが、頼朝の義弟・北条義時から彼の姉妹や継母の着物の調達を依頼されたことがきっかけで頼朝に仕えることになった。
鎌倉入り後、頼朝は坂東武士の棟梁としてみずから「鎌倉殿」を名乗る。そして頼朝の異母弟である源範頼・阿野全成・義円・源義経も頼朝の元へ参陣していた。
頼朝の役に立ってないことを悩んでいた義円に対し、彼の才の高さを良く思っていなかった義経は叔父・源行家と出陣することを勧めたが義円は(義経の思惑通り)墨俣で敗れ討死してしまう。義経は義円から頼朝へと宛てた書状を預かるが、義経は無情にも書状を破り捨てる。その書状を景時が繋ぎ合わせ頼朝に提出し、頼朝は激怒した。
この手際の良さに景時に対しオーベルシュタイン(『銀河英雄伝説』)を想起する視聴者も少なからずおり、そこから景時は「鎌倉のオーベルシュタイン」とあだ名されるに至り、義経も「サイコパス義経」呼ばわりが加速していった。
大江広元
第14話「都の義仲」~第15話「足固めの儀式」
頼朝は御家人を糾合した上で、朝廷との軋轢を増しつつあった木曾義仲を追討すべく派遣しようとするが、平家討伐ならばいざ知らず、源氏同士の身内争いのことなどどうでもいいと考える地方領主たちは、予てから抱いていた頼朝への不満を一気に募らせ、これを追放すべく叛乱を企てる。
この不穏な事態を察知した頼朝と、その側近である大江広元は一計を案じ、あえて坂東最大の実力者・上総広常に叛乱軍を率いるよう、義時を通じて依頼。
そしてその狙い通り、広常が事を穏便に収めることで叛乱を不問に付すことに成功し、頼朝も広常の功を賞し酒を酌み交わした。
・・・が、それらは全て広常一人に全ての科を負わせ、謀反人として処断せんとする頼朝と広元の策謀の一端に過ぎなかった。
その結果、広常は御家人たちが集まる中で、頼朝からの密命を受けていた景時の手により、見せしめとして殺害されてしまった。
これらのあらましと、鎌倉殿のためなら血も涙もない策謀を献策する広元の姿勢に策謀と組織運営に定評のあるオーベルシュタインを想起する視聴者も少なからずおり、そこから広元も「鎌倉のオーベルシュタイン」とあだ名されるに至ったのである。
ナンバー2不要論
これも主君であるラインハルト・フォン・ローエングラムにオーベルシュタインが提唱し献策したものである。
第23回「狩りと獲物」において曽我兄弟が”源頼朝暗殺未遂事件”を起こした。
情報が錯綜するなか、鎌倉に”鎌倉殿(頼朝)死亡”の誤報が届いてしまう。あわてた比企能員と三善康信は、カリスマ性はないが頼朝に次ぐナンバー2にあたり、人望もある頼朝の異母弟・範頼に”鎌倉殿”就任を要請、朝廷にもその旨を告げる書状を送った。
このとき、広元は冷静に「事件のいきさつを把握するまで待つ」ことを主張するが範頼らは聞き入れず、結果、無事鎌倉に帰った頼朝は広元からの報告を受けて激怒。
第24回「変わらぬ人」で頼朝からの詰問を受けた範頼は伊豆・修善寺に幽閉されてしまう。直後、ともに上洛した娘・大姫の病死と、自身にかかった病から情緒が不安定になった頼朝は「これもまたあやつ(範頼)がかけた呪詛」によるものと思いこんで景時に範頼殺害を命令、善児に殺害され、これも「オーベルシュタインが言うナンバー2不要論」とささやかれることとなった。
この「ナンバー2不要論」はのち北条時政についても適用されることになる。
一方で...
このあだ名の元となったオーベルシュタインは彼の属する銀河帝国の陣営でさえも味方から嫌われまくっていることで有名であり、特に猛将として知られる提督たちはおろかラインハルトからも蛇蝎のごとく嫌われている。この点においては頼朝・義時・広元ら以外から総スカンを食らった景時が近い。
一方で広元は頼朝上洛に同行した際には、御家人たちの酒宴にも顔を出しその席で「鎌倉下向を『都落ち』と嘲笑った公家連中を見返せたのは坂東の勇者があってこそ」など明確に坂東武士たちを讃えたことで、作中における猛将の代表格である和田義盛に気に入られている。
広元の史実に基づいて考えれば、貴族出身とはいえ合理を重んじる広元は坂東武者たちと馬が合っているのかもしれない。
また、広常の件などに対する悪感情は頼朝、義経の件については景時に向かっていると思われる描写が多く、広元にはそれほど怒りの矛先が向いていない点もオーベルシュタインとは対照的だと言える。
- 反面、この酒宴での一幕は貴族階級に代表されるゴールデンバウム朝が作った全てのものを破壊することを目的とするオーベルシュタインと保守的思考に凝り固まった京の貴族に見切りをつけ、いつかは見返してやろうと思っていた広元という「既存の特権階級への反抗心」という共通点を示すこととなった。
その後の鎌倉のオーベルシュタイン二人
広元は、頼朝死後においても幕府という組織安定のため、比企の乱直後に危篤状態から奇跡的に生還した頼家を修善寺に幽閉したうえで朝廷と結んで復帰を企んでいたことから暗殺を指示する(しかもこの際、三善康信に「仮にも先の鎌倉殿ですぞ...?!」と意見されても「それが何か」と動じなかった)、和田義盛排斥を義時と共に積極的に画策する、朝廷からの介入を警戒するなど相変わらずの切れ物っぷりを見せており、「鎌倉のオーベルシュタイン」のみならず「カミソリおじさん」というあだ名でも呼ばれるように。
だが42話で広元が目を患っていることが判明した際には、失明した両眼をサイボーグ化しているオーベルシュタインに引っ掛けて、「いよいよオーベルシュタインじゃねーか!」とツッコむ視聴者の姿が見られ、「鎌倉のオーベルシュタイン」が久々に話題となった。
一方で景時は頼家の代に失言した結城朝光を処断することで御家人統制を図ろうとするも景時を排除したい朝光の友人・三浦義村に逆用されてしまう。彼らは阿野全成の妻で朝光の琵琶の弟子である実衣を利用し、義村の父・三浦義澄に和田義盛・畠山重忠・千葉常胤ら(ドラマではすでに退場していた岡崎義実や山内首藤経俊も名前だけで再登場)を巻き込んで景時糾弾の連判状を作成し義盛が広元に提出。景時の能力を惜しむ広元は反対したが景時は失脚しのち駿河で討たれた。そしてこの件から義村は「メフィラス」呼ばわりされる策謀を本格的に積み重ねることになる。