概要
「サイコパス義経」とは、『鎌倉殿の13人』に登場する源義経(演:菅田将暉)の、これまでの大河ドラマには見られなかったサイコパスな所業と性格につけられたあだ名である。
各話での行動
第8回「いざ、鎌倉」
仕留めた兎をかけて、通りすがりの猟師と「どちらの矢が遠くに飛ばすことができるか」勝負する流れになるが、その直後にあろう事か義経は猟師を射殺し
「こいつの放った矢が遠く飛んでるし、よく見れば俺の矢じゃないし」
と、あっさりと言い放つ。
さらに同じ回では、鎌倉に行く途中で富士山に登りに行ったり、村人が持ってきてくれた里芋を無造作に食べている途中で海を見に行ったりと、冷酷な面と無邪気でフリーダムな面を同時に覗かせていた。
第10回「決戦前夜」
佐竹義政の籠る金砂城攻略に苦戦する鎌倉方。
総大将・源頼朝は和睦を考えるが、その交渉の最中、佐竹義政に「お前老けたなあ」とからかわれた事に腹を立てた上総広常が、咄嗟に義政を斬殺した事により決裂し攻城戦へと発展した。
直後、義経は金砂城攻略の策を立てるが、「戦の経験もねえのにでかい口叩くんじゃねえよ」と嗜める広常と口喧嘩に発展。
結局、金砂城は義経の策を実行に移す前にあっけなく落城。義経は不満の表情を見せ、叫びながら城の模型を破壊した。
第11回「許されざる嘘」
頼朝は坂東武士の棟梁として、みずから「鎌倉殿」を名乗る。
また頼朝は、義経の才を認め、彼を「鎌倉殿」の後継者とする事を考えていた。
そんな中、義経は兄の正室である政子に甘えて膝枕をせがんだり、かつて過ごした奥州平泉の美しさを自慢する始末。
その一方で、兄の役に立ってない事を悩む同母兄・義円に、叔父・源行家と共に出陣する事を勧め、義円から頼朝へと宛てた書状を預かる。
しかし、義経は無情にもこの書状を破り捨て、そして義円は出陣した先で討死。さらにその事の顛末を頼朝に知られてしまう。
これに頼朝は激怒し、当時に落胆の表情も見せ「もっと性格を練れ」と兄として諭すが……
第12回「亀の前事件」
嫡男・万寿(後の鎌倉幕府2代将軍・源頼家)が生まれた事を喜んだ頼朝は、祝いの馬供えに義経を指名する。
しかし鎌倉殿の後継者に立つ事を望み始めた義経は、万寿の従者のような扱いに不満を持ち「こんな事をするために奥州くんだりから来たわけじゃない」と断り、頼朝の不興を買う。
そんな中にあって、「鎌倉殿が御台所(政子)とは違う女(=亀の前)を囲っている」との噂が鎌倉中に立ち、政子の耳にもその事実が伝わってしまう。
激怒した政子は、父・時政の継室・りく(牧の方)と相談。亀の前の館を襲う事を決めたうえで、りくの兄・牧宗親に館の襲撃を依頼する。
宗親の計画ではほんの僅かに家を壊して脅すだけのつもりだったが、運悪く義経一行と出くわし襲撃に彼らが加わった事で、思いがけず大ごととなってしまう。
後日、激怒した頼朝は、義経と宗親を呼び出して詰問し謹慎を命じるが、まったく悪びれる事のない義経に手を焼いた頼朝は、目の前で宗親の髻(もとどり)を斬って彼を辱める事で義経に警告した。この時、義時が義経を庇うが、それに腹を立てた義経は「お前は黙っていろ!」と怒鳴りつけた。
- ※第12回では懐妊した政子のお腹を「触っても良いですか?」と許可を取ったうえで撫でるシーンがあり、これまでの行動からお腹の子(万寿、のちの頼家)を自分の立場を脅かすものとしてぶん殴るのではないかとヒヤヒヤした視聴者もいたが、幸いそのような暴挙に出る事は一切なく、むしろ逆に「元気な子が生まれてきますように」と優しく声をかけていた。
流石に兄の子を自ら手にかける訳にはいかないというのもあるだろうが、義経自身も政子に膝枕してもらうなど素直に懐いていた為、彼女に危害を加えたり悲しませるような事は望まなかったのだろう。また、確かに彼はこれまで常軌を逸した行動も多かったが、それとは別に、冷酷さと無邪気さという二面性は初登場時から見せていた。故に、この生まれてくる子を慈しむような言動もまた彼の本心だったのだとも思われる。
第13回「幼なじみの絆」
頼朝と決別した行家は木曽に一大勢力を築いた義仲のもとに身を寄せる。
義仲の真意をはかりかねた頼朝は、信頼する弟の範頼、御家人の北条義時、三浦義村の3人を使者として木曽に遣事とを決める。
同行を希望する義経は、派遣される事になった義時にわがままを言い、足をバタつかせて子供のように駄々をこねる。
閉口した義時は渋々出発の日時を義経に教えるが、出発前夜、義経は差し出された比企能員の娘・里に手を出した事で寝過ごしてしまい、結局置き去りにされ「くっそーーーーー!」と叫びながら地団駄を踏んだ。
第14回「都の義仲」
さて前回、義仲のもとに(自分の寝過ごしのせいで)行き損ねた義経だったが、平家を破って上洛した義仲は田舎者で作法を知らないことや、部下の兵士たちが勝手に市民たちに略奪・暴行を行っていたこと(義仲は関与するどころか止めていた)、さらに平家討伐に焦る後白河法皇の要望に応えきれなかったことで彼との対立が深まり、ついには平家との内通の噂が流れたことで抗議しようとしたところを謀反とみなされてしまう。これを好機とした頼朝は、義仲を討伐すべく義経とその兄・範頼を京に派遣する。
大喜びの義経は出陣直前、矢の稽古に励む頼朝に対し、戦果を挙げて帰還したらたっぷりと話をする、ということを約束する。また義仲の息子・義高からも武運を祈られるが、義高はその後「九郎殿も気の毒な方だ、父に勝てるわけがない…」と告げられる。
結局、頼朝との再会の約束は永久にかなわないということを、義経はまだ知る由もなかった…。
第16回「伝説の幕開け」
鎌倉ではクーデター未遂や上総広常の粛清などの騒動が起こるが、それを知る由もない義経は順調に進軍を行う。
道中、義仲は義経に対して使者を送り、「停戦して一緒に平家を討とう」という手紙を送る。手紙は武蔵坊弁慶を通じて義経に渡るが、義経はそれを読むやいなや「寝ぼけてるのか!」と怒り、何と使者の首をはねてその首を義仲に送り返した。
さらに義経の兵はたった1000人(実際は1万人)と、事実と異なる情報を流して義仲を信じ込ませる作戦に出る。結果その作戦は見事に当たり、宇治川で義経軍と対峙した義仲は態勢を立て直すため撤退。北陸への逃走を図るが、範頼軍に討ち取られた。
勝利した義経は後白河法皇に対し「九郎義経、これより義仲の首を落とし、平家を滅亡させまする!」と力強く宣言(法皇曰く「よう言った」)。
義経は福原にいる平家軍を打ち破るため、「三草山(播磨国)で平家を攻撃し、そのまま1日で福原まで移動し、油断したところを奇襲する(三草山までは2日はかかるとされていた)」「後白河法皇に停戦の仲介を頼み、自分は知らなかったことにして平家を奇襲する」という作戦を立てる。御家人たちは「作法にかなっていない」「無謀すぎる」と批判するが、彼の天才さに舌を巻く梶原景時だけは「八幡大菩薩の化身のようだ」と絶賛する。
そして作戦は実行され、三草山で平家を奇襲した義経たちは福原まで山中を進み、鉢伏山まで移動。一ノ谷まで移動した後、馬から下馬した上で徒歩で断崖絶壁を駆け下りることにした。
2月7日早朝、生田口で範頼軍が平家軍と激突し、平家が応戦する中、義経軍は徒歩で山を降り、背後を着く。怖気づく平家軍相手に奮戦する義経をみた景時は「まるで、八幡大菩薩の化身じゃ!!」と驚嘆するのだった。
第20回「帰ってきた義経」
夜討ちの手引きをしたと告白する里を激昂して刺し殺し、眠る娘をも刺殺。しかしその後、里の真意(「ついて来たくなかった」と吐露し嫌な女を演じて見せる事で、自分と娘と共に心中するしかない義経の罪悪感を薄め、憎しみを自分に向けさせた)に思い至り、二人の亡骸の前で涙ながらに謝罪した。
補説
大河ドラマとしてはこれまでにない義経像ゆえに、往年のヒーロー然とした義経しか知らない層の視聴者からは解釈違いと苦言を呈されていた。
しかし、実際には本ドラマの放送開始より10年ほど前から、義経の人物像の研究が進むにつれてかなりの問題児であった事が史料や文献から発覚しており、この「サイコパス義経」というキャラ付けは決して史実や伝承を無視したものではないという事も留意しておくべき点であり、これに対し頭ごなしに解釈違いと文句を言うのはまさに判官贔屓という言葉そのものであると言わざるを得ない。また、1979年放送の大河ドラマ「草燃える」の時点で、既に当時の最先端の歴史研究の結果を反映した義経像が見られ、「武勇には優れるが、その事に驕り高ぶって鎌倉幕府という組織を乱す愚か者」という位置づけがなされていた事も無視できない。
義経がその身を滅ぼしたのは、総合的に見ても「義経の判断ミスと間の悪さ」に帰結している節が強く、義経の立場を正義とするには苦しい研究結果が続々と出てきている。
昨今では「類い稀な合理主義者であったが、同時に子供っぽく感情的だったのでは」と推察されており、それまでの「温和で優秀な貴公子」といった悲劇のヒーロー然とした義経像に鋭く切り込む様相を見せている。
一方で静御前との逸話などもあってか、残忍一辺倒な人物ではないというフォローもされている。
第18回「壇ノ浦で舞った男」では、「敵を殺せば天皇も神器も返ってくる」という見通しで平家方を追い詰めすぎた結果、安徳天皇を自死に追いやってしまう場面があった。本作の義経は、ある意味時代に翻弄された自身の幼少期ともダブる安徳天皇の末路に対して非常に大きなショックを受けており、「私は戦でしか役に立たぬ(≒人を殺すこと以外に能がない)」と自らの浅はかさを重く受け止めるようになった。
そしてこれ以降の義経の描写には、自分の短所について思慮を巡らせ、兄・頼朝の為にそれらを克服しようとしたり、更には落ち延びた奥州では打倒鎌倉よりも妻子を守る事を優先するかのように振る舞うなど、成長や良心を滲ませる場面が目立つようになっていった。
前述したように政子にも懐いていた他、そもそも亀の前の館を打ち壊したのも政子を不憫に思ったからであるなど、頼朝以外の身内への情愛もきちんと持ち合わせている。
裏側
- 菅田はインタビューで「(脚本家の三谷幸喜に)義経をこう演じて欲しい」と一切指示されていなかった事を明かしている。
- さらに、脚本家の三谷氏が後のインタビューで「菅田くんと初めて会ったのは『日本アカデミー賞』の時のトイレで、その連れション以来ほとんど会ってない。」と述べており、そもそも菅田と会う機会すらほぼなかったことが発覚。それにもかかわらず、三谷は「菅田くんと一回会っただけで本作での義経像が浮かんできて、それを菅田くんに演じてもらいたいなって思った。」とサイコパス義経誕生の経緯を語っている。
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- 草燃える(1979年の大河ドラマ)
- 1979年に放映された大河ドラマで鎌倉幕府樹立を描いた。このドラマと同じく、義経を「『判官贔屓』の対象となる悲劇のヒーロー」としてではなく「政治に無知で朝廷の誘いに乗って関東武士の団結を乱した愚か者(問題児)」として描いている。
- 牛若丸(Fate)
- スマートフォンアプリゲーム『Fate/GrandOrder』に登場した、義経の青年時代をモデルとしたキャラクター。配信は本作の方が7年ほど早かったのだが、親の愛を知らぬが故に幼稚な非情さを残してしまった・一方で本人が意識する以上には身内への情愛も持ち合わせていたなど、性格がほとんどこのサイコパス義経風味というまさかの解釈一致となった。そのためこちらを知る視聴者からすると、「あ、そうっすね」で割とすんなり受け入れられてしまった。こちらの牛若丸も自らの不足を認めているのだが、このドラマの義経の契機が壇ノ浦だったのに対し、ゲームの牛若丸は死を迎えてようやくという形になっている。