概略
坂本龍一(1952年1月17日~2023年3月28日)
イエロー・マジック・オーケストラではキーボード/シンセサイザーを担当。
幼少期からクラシックを学び、テクノやニューウェーブ、民族音楽など幅広い音楽を取り入れた音楽性に評価があった。
アカデミー賞とグラミー賞を両方受賞している唯一の日本人であり、多くのヒット曲や有名映画の音楽を手がけた。
高橋幸宏と初めて会った際、坂本が大学院生と聞いた高橋が「大学教授にでもなるの?」と言った事から、あだ名が「教授」になった。
最初の妻とは学生結婚したが一女を設けて離婚、二番目の妻である矢野顕子とは同業の矢野誠からの略奪婚の形で結婚。矢野との間に生まれた坂本美雨は歌手・女優。矢野には連れ子・風太がおり、坂本の歴代妻との間の子も含め二男・二女の父である。ニューヨーク移住時、スタッフの女性との間に映像作家となった息子の空音央をもうけ、矢野との離婚の原因となった。
性格はエキセントリックで奇行が多く、イエロー・マジック・オーケストラでは細野と険悪な雰囲気になり、高橋が間を取り持っていた。
付き人や運転手に暴力を振るったことがあり、反省していなかったのかインタビューのネタにしていた。またインタビューや対談でも独自の価値観に基づいた放言は数知れず「学生時代に友人がジャージを着てきたので絶交した」「学食で一人飯を食べている人が嫌い、見たくないのに強制的に見せられてる」といった難癖にも等しい好き嫌いを開陳している。参照
社会活動に熱心で反原発や被災地支援などを活発に行っていたが、「たかが電気」と電気をよく使う自身の音楽活動や少年時代から裕福な生活を続けた自分の立場を棚に上げた発言が物議を醸した。
このため「性格はアレだけれど」と前置きしてから評価する人も多い。
坂本美雨と友人の山下達郎との対談では「ウチの父はああ見えて、あんまり友達がいないんです」と暴露されていた。ただ、子供同士の仲は悪くなかったらしく美雨が異母弟の音央の仕事をSNSで宣伝していたりもする。
来歴
1952年1月17日、中野区(東京都)で誕生。実家は資産家であった。3歳からピアノを習い始める。
1959年、世田谷区(東京都)に転居。
1964年、千歳中学校に入学。ドビュッシーが好き過ぎるあまり、『自分はドビュッシーの生まれ変わり』と思い込みサインの練習をするなど厨二病だった。
1967年、都立新宿高校に入学。新宿のフーテンの影響を受け、ジャズを聴くようになる。
1970年、東京芸術大学に入学。小泉文夫の講義に感銘を受け、修士課程修了時にはプロ・ミュージシャンになるか、民族音楽研究者になるか迷った。
1976年、りりィのバックバンド時代、細野晴臣のマネージャーに紹介された。
1978年、細野晴臣のソロ・アルバム「はらいそ」のレコーディングに参加。イエロー・マジック・オーケストラがアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」でデビュー。坂本がアルバム「千のナイフ」でソロ・デビュー。
1982年、矢野顕子と入籍。
1983年、イエロー・マジック・オーケストラが解散。映画「戦場のメリークリスマス」に出演。音楽監督も担当。
1987年、映画「ラストエンペラー」に甘粕正彦役で出演。音楽も一部担当し、アカデミー賞作曲賞、グラミー賞映画音楽賞を受賞。
2006年、矢野顕子と離婚。
2010年、坂本が講師を務める音楽番組「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」(NHKEテレ)の第1シーズンが放送された。
2011年、「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」の第2シーズンが放送された。
2012年、反政府・反原発デモに参加。「たかが電気ごとき」と発言し話題になった。
2014年、中咽頭癌を患う。
2020年、大腸癌を患う。その後、6度にわたる手術を行った。
2021年、癌が肺に転移。病状が進行し、ライブ活動も思うようにできない状況となる。
2022年12月11月、録画配信のライブを行ったのが最後の公演となった。
2023年3月28日、東京都内の病院で癌により死去(71歳)。
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