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夏木陽介の編集履歴

2023-05-20 18:01:37 バージョン

夏木陽介

なつきようすけ

日本の俳優、ラリードライバー(1936年 - 2018年)。

概要

1936年2月27日生まれ。東京都八王子市出身。本名は阿久沢有(あくざわ たもつ)。自身が代表取締役を務めていたオフィス夏木に所属していた。


明治大学在学中に画家の中原淳一にスカウトされ、1958年卒業と同時に東宝に入社。同年、『美女と液体人間』で映画デビューを飾る。同期に桐野洋雄小川安三らがいる。

芸名は中原の命名で、「の太に向かって真っすぐに伸びていく若のように、たくましく生き生きとした俳優になって欲しい」という意味が込められている。

デビュー当時は「何かあったら辞めてやる」と軽い気持ちで活動していたが、養成所の講師を務めたベテラン俳優小杉義男相手に一歩も引かなかったり、撮影所の地主の息子である守衛の態度に腹を立ててバイクで撮影所の門の鎖を引きちぎるなどの他人に物おじしない行動がトリオを組んだ佐藤允共々「とんでもない奴が入ってきた」と畏敬の念を集めたことからいじめられることはなかったという。

1960年に『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』で主演を務めたことから俳優として活動を続けていく覚悟を固め、東宝の幅広いジャンルの映画に出演した。

1965年にはテレビドラマ『青春とはなんだ』に主演し、お茶の間でも名の知れた存在となり、翌年にはこれに肖った映画『これが青春だ!』もヒット作となる。

1973年には東宝の先輩にあたる三船敏郎から誘われて竜雷太とともに三船プロダクションに移籍。テレビドラマを主な活動の場とした。特に『Gメン'75』の小田切憲警視(メイン画像)は当たり役となった。


また無類の自動車趣味を誇り、過去に所有した車は高級車スーパーカーなど数百台は乗り換えたと語っている。日本国内に3人しかいないメルセデス・ベンツ300SLの所有者(あとのふたりは石原裕次郎力道山)でもあったという。また自身もラリードライバーとして1985年1986年ダカールラリーにも出場した。


2018年1月14日、腎細胞癌のため東京都内の病院で死去。満81歳没。

主な出演作

テレビドラマ

  • 『青春とはなんだ』(1965年・日本テレビ):野々村健介
  • 『明日をつかめ』(1967年・日本テレビ):伴三郎
  • 『太陽野郎』(1967年−1968年・日本テレビ):玄田健介
  • 『東京バイパス指令』(1968年−1970年・日本テレビ):南郷健介警部
  • 『明智探偵事務所』(1972年・NHK):明智小五郎
  • Gメン'75』(1975年-1979年・TBS):小田切憲警視
  • 竜馬がゆく』(1982年・テレビ東京):後藤象二郎
  • 徳川家康』(1983年・NHK):柳生宗矩
  • 『スシ王子!』(2007年・テレビ朝日):北山鯛造
  • ULTRASEVENX』(2007年):DEUS司令の声

TVCM


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