旅路
鉱脈があると知れば
足を運んで掘り起こした
けれど本当に誇らしいのは
手に入れた無数の宝ではなく
この長い旅そのものだ。
遠回りを厭わず
泥の道にも挫けず
たとえ徒労に終わろうと
それもまた経験に変えて
僕は強くなっていった。
- 名馬の肖像 2019年チャンピオンズカップより
ウマ娘についてはホッコータルマエ(ウマ娘)へ
概要
生年月日 | 2009年 5月26日 |
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英字表記 | Hokko Tarumae |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | キングカメハメハ |
母 | マダムチェロキー |
母の父 | Cherokee Run |
生産者 | 市川ファーム |
調教師 | 西浦勝一 |
馬主 | 矢部幸一→矢部道晃→北幸商事㈱ |
競走成績 | 39戦17勝 |
獲得賞金 | 11億1459万1800円 |
名前の由来 | 冠名+樽前山 |
苫小牧市内の企業の経営者親子が馬主で、馬名は同市の象徴とされる樽前山にちなむ。
苫小牧観光協会により「とまこまい観光大使」にも任命されており、市内で応援イベントが開催されている
スティルインラブと並び幸英明騎手の代表的騎乗馬でもある。
デビュー前
2009年《誕生》
5月26日に北海道浦河町の市川ファームにて誕生。
夜中の11時半頃に誕生し、慣れない母馬から初乳を飲ませるのに一晩中、手こずったため、生産者曰く「最後の最後までしんどかった」とのこと。
父は言わずと知れた大種牡馬キングカメハメハ。獲得賞金はその産駒の中で第1位である。
母マダムチェロキーは生産者市川氏の友人の生産馬である。マダムチェロキーの母は生産者が友人と一緒に渡米した時に友人が購入した繁殖牝馬で、生産者が友人の牧場へ様子を見に行った時に産気付いたため、お産を手伝い、生まれたのがマダムチェロキーであった。そして市川ファームとして馬主申請をした年、マダムチェロキーの購入を打診され、即決購入。マダムチェロキーは現役時代46戦をこなし、4勝をあげて市川ファームへやって来た。市川夫人曰く「目は母のマダムチェロキーにそっくり」とのこと。
生産牧場時代のホッコータルマエについて、市川氏曰く「おとなしい馬で、けがや病気とは無縁な馬。だから、ほとんど記憶にない」とのこと。
離乳前に同じ放牧地で育った幼馴染にはシムーンやローザロッチェがいる。また、離乳後は、離乳前に隣の放牧地だったボス馬カーバやシムーンと同じ放牧地となった。
(タルマエが幼馴染たちとレースで対決することはなかったが、カーバは未勝利戦で後にタルマエのライバルとなるハタノヴァンクールと対決している)
2010年《セレクションセール》
7月にセレクションセールに上場。
初代オーナーの矢部幸一氏に税抜1500万円で落札される。(購入価格が判明している同世代のGI馬の中では3番目に安い価格である)
セール後、同じ浦河町にあり、幸一氏と親交が深い高昭牧場で育成を受けることになる。
初期馴致はほとんど出来ており、苦労した覚えはなく、逆に印象に残らないほどであったとのこと。
ただし、遅生まれ故に負荷をかけすぎないような調教メニューだったという。
2011年《後期育成》
3月にかつてゼンノロブロイ、シンボリクリスエス、タイキシャトルも育成された日高町の育成牧場ファンタスト・クラブに移り、入厩に備えた育成へ移る。
この時代には素質馬として注目されるようになっていた。
夏前に一度、西浦厩舎に移動するも、レースをすることなく、クラブに戻る。
肉体的に未完成な部分を残していたことから再度、育成を行い、それからはガマンの連続だったという。
なお、ファンタスト・クラブでの同期の育成馬には現役時代に鎬を削ることになるハタノヴァンクールやオースミイチバンがいた。(生産牧場のブログによれば、現役時代にタルマエがファンタスト・クラブに戻った際はタルマエから2つ挟んだ馬房がハタノヴァンクールで、向かいの厩舎にはオースミイチバンがいたという)
現役時代
2012年《同期ハタノヴァンクールとの対決》
1月14日に京都競馬場で遂にデビューするもる11着。しかし次走の3歳未勝利戦で9番人気ながら1着となり、ホッコータルマエは2戦目で勝利を飾ることが出来た。
以後2戦するも勝利は果たせなかったが、3歳500万下で鞍上が幸英明騎手に替わると5戦目で2勝を挙げることが出来た。6戦目の端午Sでは同期にして同父にして同窓のハタノヴァンクールに敗北するも、青梅特別(1000万下)で7戦目で3勝目。勝利後に幸騎手は「遊びながら走っていました。力があります」とホッコータルマエの実力を評価している。
そして7月11日、JpnIジャパンダートダービーに出走したが、またしてもハタノヴァンクールに敗れ、オースミイチバン4着、ホッコータルマエ5着という決着となる。このときは初のナイターであったタルマエが物見をしていた関係上ポジション取りが悪くなったため、力負けではないと幸騎手は語っている。
当時の生産者のブログには「ハタノヴァンクールって強いよね。いつか負かせる日が来るのか?」と残されている。
8月5日に2度目の重賞挑戦となるGIIIレパードステークスで勝ちを収め、ホッコータルマエは初めての重賞勝利を果たした。レース後、幸騎手は「手応えが良すぎて早く先頭に立ってしまったけど、まだ余裕がありました。前走で負けたのは僕のミス。これからが本当に楽しみな馬だし、前走で負けた馬(ハタノヴァンクール)にまた挑戦して勝てるようにがんばります」、西浦調教師は「(ハタノヴァンクールと)使うレースはだいたい同じようなところになるから」とライバルへのリベンジに燃えていた。(なお、2日後にファンタスト・クラブへ放牧休養に戻るのだが、前述の通り、当のライバルはタルマエから2つ挟んだ馬房にいた)
そして放牧休養を経て、秋には3走、GIIIみやこステークスとGIジャパンカップダートで3着に残り、ハタノヴァンクールに連続して先着するなど、GI・JpnI勝利こそないものの、ダート中距離路線で好成績を残している。
2013年《ダートのトップホースへ》
年明け初戦東海ステークスで重賞では初の1番人気で3着に敗れたものの、佐賀記念・名古屋大賞典・アンタレスステークスで1番人気に応え重賞3連勝を飾る。
なお、この時、既にドバイからG2ゴドルフィンマイルの招待を受けていたが、陣営は「どうせドバイにまで行くならワールドカップに出るべきだろう」ということでゴドルフィンマイルには出走せず、ドバイワールドカップを今後の最大の目標にすることとなる。
そしてJpnIかしわ記念は同じファンタストクラブ出身の先輩エスポワールシチーをとらえてJpnIの初制覇を果たした。
更にJpnI帝王賞は最後はニホンピロアワーズに勝ち、重賞5連勝をJpnI2連勝で飾った。
3ヶ月半の休養明けとなったマイルチャンピオンシップ南部杯ではエスポワールシチーを捉えきれず2着に敗れ連勝は5でストップ。
しかし続くJBCクラシックをレコードタイムで逃げ切り、JpnI3勝目を挙げた。
なお、このレースが同窓ハタノヴァンクールとの最後の戦いとなった。入線後、異常を感じた鞍上の四位騎手が下馬し、翌日、左前脚浅屈腱炎と判明し、ハタノヴァンクールの引退が決まる。通算対戦成績は4勝2敗。
また、レース後、初代オーナーの矢部幸一氏が逝去し、息子の矢部道晃氏が引き継ぐことになる。
2度目の挑戦となるジャパンカップダートでは逃げるエスポワールシチーをかわして先頭に立つが、残り100mの地点からベルシャザール、ワンダーアキュートにかわされて3着。
そして12月29日、日本のダート競馬の1年を締め括る総決算レースであるGI東京大賞典ではワンダーアキュートに1馬身半差をつけて優勝。年間GI/JpnI4勝の功績により、NARグランプリダートグレード競走特別賞に選出された。
2014年《後輩コパノリッキーからの挑戦》
年明け初戦の川崎記念では単勝1.1倍の断然人気に応えてGI/JpnI5勝目
続くGIフェブラリーステークス。現役時代に10回に亘り激突することになる1歳下のコパノリッキーとの初対決となるが、この戦いはコパノリッキーが勝利し、初GI制覇。ホッコータルマエは2着に終わった。
3月には同期のジャスタウェイやジェンティルドンナ等と共に日本勢8頭でドバイワールドカップデーに参戦。鞍上は継続して幸騎手が務めた。外国人騎手では無く日本人騎手を起用することについて、騎手時代にカツラギエースで日本馬初のジャパンカップ制覇を成し遂げた西浦調教師は「日本人が乗って勝ってナンボなんだ」「幸(騎手)を乗せて勝つというのに意義がある。これは自分としては凄く大事なこと。勝つことによって日本のジョッキーも成長する。馬だけではなく日本のジョッキーも世界に認めてもらいたい」と語っている。
そして迎えたドバイワールドデーでは、第7レースドバイデューティーフリーのジャスタウェイと、第8レースドバイシーマクラシックのジェンティルドンナら日本勢が連続して、レコード勝利を果たす中で、大トリとして最終の第9レースドバイワールドカップを迎え、幸騎手は「日本馬、すごいですよね。頑張らないと」と意気込んだ。しかし、不調(レース前はパドックではいつも以上にテンションが高く、いつもはすんなり入るゲートを3回も嫌がるなど様子がおかしかった)や慣れないオールウェザーの馬場がたたったか、レースでは最下位の16着と惨敗を喫した。
レース後はストレス性腸炎発症のため、現地の診療施設に緊急入院。他の遠征馬よりも遅く4月12日に帰国した。
これにより西浦調教師は秋までの休養を決定。
休養明けのJBCクラシックでは4着。コパノリッキーに連敗するとともに前年に自身が更新したレコードタイムも塗り替えられる。
続くチャンピオンズカップでは道中2番手から逃げるクリノスターオーをかわして先頭に立つとそのまま押し切り優勝、コパノリッキーに初勝利、GI/JpnI6勝目を挙げるとともに、中央競馬のGI初優勝となった。矢部道晃オーナーはレース後、「父の死後、幸騎手が一番プレッシャーを感じていたように思う。見ていてつらかったです」とこの一年を振り返り「一方で、幸騎手との信頼が一層深まりました」「これからは苫小牧をPRする意味でも、ますます活躍してもらいたいです」と苫小牧民報の取材に答えた。
東京大賞典では3コーナーで逃げるコパノリッキーを捉えるとそのまま先頭に立ち4馬身差をつけて優勝、GI/JpnI7勝そして史上3頭目の連覇を達成した。
(ここまでコパノリッキーとは2勝2敗)
この2014年の功績により、ホッコータルマエは「JRA賞」の2014年度最優秀ダート馬に選ばれた。選出を記念してホッコータルマエは、オーナーや自身の名前の由来とも縁の深い苫小牧市のとまこまい観光大使に就任し、2013年のインタビューでの西浦調教助手の言葉が遂に実現することとなった。
2015年《若い力の台頭》
川崎記念を1番人気に応え連覇。
3月にエピファネイア、ハープスター等ともにドバイ遠征に参加。エピファネイアと共にドバイワールドカップに再挑戦。前年の入院期間中に築いた現地の競馬関係者との輪を活かし、西浦調教師が現地の装蹄師に依頼し作成したタルマエに合うオリジナルの蹄鉄を装蹄し挑むも5着に終わる。その後は帝王賞を1番人気で勝利し、GI/JpnI9勝目。
秋に入り、GI/JpnI競走10勝目をかけて挑んだJBCクラシックでは圧倒的1番人気に支持されるもコパノリッキー、サウンドトゥルーに続く3着。
連覇がかかったチャンピオンズカップは前年に先着していた同期のダートの女傑サンビスタにリベンジされ彼女が有終の美を飾る中5着、東京大賞典はサウンドトゥルーの2着と勝ちきれずこの年を終える。
2016年《GI/JpnI10勝達成、そして…》
前年秋に3連敗していたサウンドトゥルーにリベンジし、約30年ぶりで史上2頭目となる川崎記念3連覇、そして日本競馬史上初のGI/JpnI競走10勝を達成。また、2013年のハタノヴァンクールの勝利も併せ、同世代で川崎記念4連覇も達成した。
このGI/JpnI10勝の快挙を祝福し、故郷の市川ファームのある浦河町からオーナーに記念品として大漁旗が贈呈された。
そしてドバイワールドカップへ3年連続の挑戦。リアルスティール、ドゥラメンテ、ラニら共にドバイの地へ渡る。
(なお、遠征前の検疫厩舎ではラニに吠えに吠えられていたという。そんな中、西浦調教師は馬房のラニを見て「いい馬だなあ」と言ったり、タルマエは朝の運動でラニを誘導したりしたことがラニのスタッフから思い出として語られている)
そして迎えたドバイWCでは、やや後方からの競馬を選択し、後半のコーナーで一旦は馬群の一番後ろのところまで後退するも必死に追って喰らいつき、最終的には9着に入線した。
帰国後、連覇がかかった帝王賞はコパノリッキーの4着。秋に入り、マイルチャンピオンシップ南部杯もまたコパノリッキーの3着。JBCクラシックは2着という結果となった。その後、チャンピオンズカップに向けて調整されていたが、11月29日の調教後に左前肢の跛行が見られた。
既に年内に引退し、新冠の優駿スタリオンステーションでの種牡馬入りが決まっていたこともあり出走を断念し現役引退を発表した。
同時代にコパノリッキー・エスポワールシチー・ワンダーアキュートなど、強大なライバルが多かった。コパノリッキーとは5勝5敗。翌年にコパノリッキーはGI/JpnIを3勝し、ホッコータルマエのGI/JpnI10勝を塗り替える11勝を達成している。
現役引退後
引退後は種牡馬となり、優駿スタリオンステーションとイーストスタッドを2年おきに移動する国内シャトルの形態で繋養されている。
2020年の地方競馬におけるファーストシーズンチャンピオンサイアーとなっている。
エピソード
性格
幼少期から大人しく優しい性格。故にストレス発散は、周囲に対して行わず、馬房に吊り下げられたプラスチックのリンゴのオモチャに向かってヘディングしていたとのこと。
また、人間が大好きで、人が近付くとすぐ甘噛みしようとするとのこと。
幸騎手へのインタビューによれば、性格は素直でいい子である一方、途中でやめる癖があり、馬混みが得意ではなかったという。「キックバックを嫌がったり、集中力がなくなる馬でしたね。(馬混みに)入れたときは大敗している」「馬混みで競馬できる馬だったら、もっと勝てた」
また、レースと調教を区別できる賢さがあり、調教では動かず、併せ馬でも遅れることが多く、レースでは嫌いな馬混みも調教では平気だったとのこと。
応援歌
馬でありながらとまこまい観光大使に任命されたホッコータルマエだが、応援歌が2曲作られ、CDが全国発売されている。
1曲目は2016年にドバイワールドカップへ3度目の挑戦をするホッコータルマエを応援するもの。
曲名は「ダートの星☆輝け!ホッコータルマエ」。歌うのは苫小牧市在住のシンガー・ソングライター、かんばやしまなぶ氏。「苫小牧のシンボル、樽前山の名前がついた馬。その走りに感動して、曲を作りました」とのこと。祝勝会で披露するなど関係者公認のもの。同氏自身も2015年秋に観光大使に就任した。
2曲目は「タルマエ讃歌~ありがとう~」。同じく歌うのは、かんばやし氏。こちらは史上初のGI/JpnI10勝を達成したホッコータルマエを讃えるバラード調の曲である。
オーナー
初代オーナーは矢部幸一氏。2代目オーナーは息子の矢部道晃氏。いずれも苫小牧市内にある北海土建工業の経営者(会長と社長)である。
幸一氏は生まれは門別町(現・日高町)で育ちが苫小牧。胆振・日高管内における建設業界の重鎮であり、苫小牧商工会議所建設業部会長、苫小牧地域職業訓練センター運営協会長、苫小牧柔道連盟会長、苫小牧建設協会副会長等数多くの要職を務め、地域のボランティア活動にも熱心に取り組むなど、地域貢献・地域振興に力を注いでいた。柔道の普及に尽力し郷土貢献彰受賞もしている。ホッコータルマエは幸一氏にとって、所有馬で唯一GI/JpnIを制した所有馬である。幸一氏はホッコータルマエが2013年のJBCクラシックを制した直後に亡くなっている。
2代目オーナーの道晃氏は亡くなった幸一氏の所有馬を引き継いでいる。現在は名義を個人から「北幸商事㈱」の法人名義に変えている。本業では2009年に北海土建工業の代表取締役社長に就任。その後、積極的に事業を推し進め、近年では「樽前山の火山砂防工事」、「厚幌ダムの道路工事」、「安平川の改修工事」、「日高自動車道の改良工事」といった公共事業を多く手掛けるなど、順調に業績を伸ばしている。
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