誘導
- 日本の競走馬・繁殖牝馬。
- 『ウマ娘プリティーダービー』にて1をモチーフとして登場するウマ娘。→スティルインラブ(ウマ娘)
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プロフィール
生年月日 | 2000年5月2日 |
---|---|
性別 | 牝 |
欧字表記 | Still in Love |
毛色 | 栗毛 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ブラダマンテ |
母の父 | Roberto |
5代内のインブリード | Hail to Reason3×3 / Almahmoud 4×5 |
競走成績 | 16戦5勝 |
産地 | 北海道門別町 |
生産牧場 | 下河辺牧場 |
管理調教師 | 松元省一(栗東) |
馬主 | (有)ノースヒルズマネジメント |
主な勝鞍 | 2003年牝馬三冠(桜花賞・優駿牝馬(オークス)・秋華賞) |
主な表彰 | 2003年JRA賞最優秀3歳牝馬 |
概要
2000年5月2日生まれの競走馬(03世代)。メジロラモーヌ以来2頭目、1996年の秋華賞創設以降では初めてとなる牝馬三冠を達成した。
来歴
幼駒時代
母であるブラダマンテは現役未出走ながら、門別の名門牧場・下河辺牧場に繫殖牝馬として14万ドルで落札された持込馬で半兄にすでにラジオたんぱ賞を制したビッグバイアモン(父・バイアモン)がいるなど繁殖実績があった。大種牡馬・サンデーサイレンスとの交配が行われ、2000年に出生した。
2歳時
2002年の秋、かつてトウカイテイオーやフラワーパークといった有力馬を管理した栗東の名門・松元省一厩舎に入厩。当時松元厩舎におけるノースヒルズの所有馬の主戦は松永幹夫が起用されることが多かったが、オーナーの計らいにより普段から同厩舎で調教をつけることが多かった幸英明が鞍上に選ばれた。この起用には、トウカイテイオーなどに騎乗経験があり松元厩舎とのつながりがあったものの、不祥事が原因で当時すでに競馬界の第一線から離れていた兄弟子・田原成貴の進言もあったとされる。
11月30日、阪神競馬場で行われた芝1400mの牝馬限定の新馬戦に出走すると、兄がすでに重賞ウィナーであるという血統背景などから注目を集め、単勝1.7倍の1番人気を背負う。好位に取りつくと、後ろを3馬身半差離す楽勝でオッズに応えた(このレースで松永幹夫はヘヴンリーロマンスに騎乗し6着)。
3歳時
年が明けて臨んだ紅梅ステークスでは、ゲートで立ち遅れるも、直線で末脚を披露するとシーイズトウショウをはじめとする素質馬を離す中身の濃い勝ち方を披露。一挙に牝馬クラシック戦線の主役に躍り出た。鞍上の幸はこの紅梅Sではじめて「これは!と思った」と回顧している。
続戦はチューリップ賞。無敗の2歳女王・ピースオブワールドの離脱でクラシック戦線の本命にみられたことは、単勝1.7倍という圧倒的な支持にも現れていた。慣れない重馬場となったレース本番では、直線で後ろを抑え込もうと先行していたシーイズトウショウ、チアズメッセージ、オースミハルカの間を突こうとするも、うまくいかず残り100m付近で外へ出し、前のオースミハルカを猛追する形となり首差2着となった。このレースは負けて強しといえる内容で、GⅠ勝利を強く意識させる内容であったものの、当時GⅠ勝利のなかった幸は騎手の失策による敗北であったとして乗り替わりを覚悟し「このまま、この子(スティルインラブ)と、遠くへ逃げたい」と思ったという。しかし、松元師から「本番に生かしてくれれば」との激励を受け、本番でも同馬とのコンビを組むこととなった。
桜花賞 ~王道たる桜の強さ~
迎えた桜花賞本番。1番人気に推されたのは武豊が手綱を執るアドマイヤグルーヴ。母にエアグルーヴを持つ良血で、牡馬クラシックトライアルである若葉ステークスで勝利を収めた同馬とともに、単勝3.5倍で並ぶ2強オッズを演出した。
レースでは出遅れたライバルを後目に好位に取りつくと、直線まで抜群の手ごたえのままレースを運ぶ。直線を向くと、多少早め入った鞍上のサインにすばやく応えて馬場の真ん中へと動いて先頭に立ち、後ろから迫るアドマイヤグルーヴ、内でもう一伸びするシーイズトウショウを下し、桜の冠を手に入れた。
鞍上の幸にとっても、これが初めてのGⅠタイトルであった。
オークス ~愛しの夢へと続く東京2400m~
そうした強い内容での競馬であったにもかかわらずオークスではアドマイヤグルーヴから離された単勝2番人気であった。
スティルインラブ自身が1600m以下に良績が集中していたことで800mの距離延長が不安視されたことに加えて、アドマイヤグルーヴが皐月賞トライアルでなおかつ、阪神2000mという舞台設定である若葉ステークスを含む3連勝でクラシックに駒を進めていたこと、桜花賞で見せた末脚が直線の長い府中ではより有効と見られたこと、もっと言えば鞍上の武豊が「脚を測った」とされたこと、何よりファンからアドマイヤグルーヴは母母・ダイナカール、母エアグルーヴに続く三代オークス制覇の夢を託されたことが大きかった。
(レースは2分31秒から)
レース本番では、アドマイヤグルーヴは桜花賞で見せたゲートでのチャカつきが解消されずスタートで出遅れ気味だったうえ、第1コーナーに入る手前あたりで引っかかってしまい、鞍上はそれをなだめながらで、後方からの競馬を強いられることに。一方でスティルインラブはそつなくゲートを出ると、中団やや後ろに構えて楽な態勢をとることができた。トーセンリリーが先頭でややスローなペースを生み出すなか、じっくりと構えてレースを進めた。そして、直線で馬場の真ん中に持ち出しながら幸騎手に追い出されると、落鉄しながらもメンバー最速の33秒5の上がりを繰り出して次々と相手を抜き去り、先頭でゴール板を駆け抜けた。牝馬2冠はベガ以来10年ぶりのことであった。ライバルのアドマイヤグルーヴは終始後方のまま、直線では大外を回すことになり7着に大敗した。
秋華賞 ~17年ぶりの栄光~
夏休みを経て、前哨戦として出走したのローズステークスは1.9倍の1番人気に推された。しかし、余裕残しとも思える+22kgの馬体重に加え、道中で行きたがる面を見せたことで好位から伸びあぐね、アドマイヤグルーヴの5着に敗れた。
このこおもあって、牝馬三冠のかかった本番・秋華賞でも、他のクラシックレースと同様にアドマイヤグルーヴに続く2番人気となった。
そんな不安もなんのその、レース本番では、一叩きされた効果で馬体に落ち着きがみられ、まずまずのスタートから中団で競馬を進める。3角付近で早めに仕掛け、直線で追い出して内で抵抗するマイネサマンサを捉えにかかるが、外から一頭迫ってくる馬がいた。道中スティルインラブをマークし続けていたアドマイヤグルーヴであった。直線では熾烈な攻防を繰り広げるも、わずかにアドマイヤグルーヴの追撃を抑え込み、0.1秒・3/4馬身差で勝利を収めた。
牝馬三冠達成はメジロラモーヌ以来17年ぶり、秋華賞創設以降では史上初めてのことだった。
幸騎手は秋華賞について「うまく乗れたとは思わないけど、スティルが頑張ってくれた」とのコメントを残している。
エリザベス女王杯 ~宿敵との闘い~
牝馬三冠の称号をひっさげてスティルインラブは、エリザベス女王杯に挑戦し、統一女王の座を狙うこととなった。
オッズでは3歳馬のスティルインラブとアドマイヤグルーヴが2強を構成し、それに古馬のローズバド、レディパステルなどが続くという形になった。道中中団前目で運ぶスティルインラブに対し、その1馬身ほど後ろにアドマイヤグルーヴが位置を取る。やや暴走気味に先頭に立ったスマイルトゥモローに加え、メイショウバトラー、オースミハルカといった先行勢が前を大きく離してばらけた馬群が作られる。徐々に前がバテ始め、下り坂を越えたあたりからスティルインラブを幸騎手はやや早めに追い出す。それを見るように武豊騎手も直線半ばからアドマイヤグルーヴにゴーサインを出し、直線ゴール板手前ではスティルインラブとぴったりと併せるように伸びてきた。それでもスティルインラブは粘り腰を使って外のライバルに抵抗するが、熾烈な叩き合いはアドマイヤグルーヴにハナ差で軍配が上がった。
クラシックの最後の最後でライバルに3代GⅠ勝利という記録達成を許すことになったものの、スティルインラブは世代GⅠ3勝、古馬と混じったGⅠでも2着、キャリア全体で見ても連対を外したのは1回という極めて優秀な成績で古馬戦線へと駒を進めることになったのだった。
古馬時代
ところが翌年以降、スティルインラブは長いトンネルへと迷い込む。
アドマイヤグルーヴとともに臨んだ古馬初戦の金鯱賞はタップダンスシチーがレコード逃げを刻む中、スタート前から発汗が著しく、ゲートでも立ち遅れて8着に終わる。春の目標に掲げられ、唯一の牝馬として出走した宝塚記念でも前走で牡馬との壁があると認識されてか単勝人気も低く、レース本番でも競走に気持ちが向ききらず前から大きく離された8着。距離を大幅に短縮し夏に使われた北九州記念では、58kgという4歳牝馬には厳しいハンデが堪えて12着に大敗。
秋は復活を期して府中牝馬ステークスに出走し、「牝馬のなかでは地力上位」として1番人気に支持される。道中先行したオースミハルカとメイショウバトラーをとらえきれず3着という結果であったものの、ようやく三冠牝馬復権のきっかけを掴みかけたに見えた。
しかし前年度の屈辱からのリベンジを目指した本番のエリザベス女王杯では、4角では同じような位置で競馬を進めたライバル・アドマイヤグルーヴが力強く伸びていく一方で、直線で全く切れず9着に敗退。
翌年になっても金鯱賞6着、宝塚記念9着と冴えないレースが続き、秋の府中牝馬ステークスではスタートで出遅れてとうとう最下位の17着に沈む。これを最後に競走生活から退くこととなった。
突然このような不振にはまりこんだきっかけとして、後年関係者から、調教に入る際に反抗するそぶりを見せたり、レース前にテンションが過剰に上がったりするようになっていたとの回顧がなされている。
繁殖実績
引退後は生まれ故郷の下河辺牧場で繫殖牝馬となり、初年度にはキングカメハメハが選ばれ、2007年に2月に無事出産した。しかし同年8月、小腸の捻転による腹痛を発症し急死。腸重積症によるものであった(参考)。墓碑が下河辺牧場に置かれている。
生年月日 | 名前 | 性別 | 毛色 | 父 | 競走成績 |
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2007年2月19日 | ジューダ | 牡 | 栗毛 | キングカメハメハ | 12戦2勝 |
2008年 | (母体死亡) | キングカメハメハ |
早逝してしまったことで登録された産駒は1頭にとどまり、この産駒も繁殖入りしなかったことで、三冠牝馬の血統を後へつないでいくことはかなわなかった。
余談
運命の「赤い糸」
スティルインラブで牝馬三冠を達成した祝勝会で、幸騎手はたまたま居合わせたとある実業家と出会っていた。その名前は岡浩二氏。2003年に岡氏が馬主免許を取得する少し前の出来事であった。
それから20年後、幸騎手は師匠の谷八郎元調教師の息子にあたる谷潔調教師が管理し、岡オーナーが所有するヨカヨカに騎乗し、九州産馬史上初めてのJRA中央重賞制覇を達成する。ヨカヨカはその後調教中のケガで競走馬引退を余儀なくされてしまったが、同年秋にはエリザベス女王杯の鞍上を確保できなかった岡オーナーが所有する競走馬・アカイイトの手綱を任される。10番人気という低人気ながら、早めに抜けだしたレイパパレなどの有力馬たちを直線大外から差し切り、見事同馬とともにスティルインラブでは届かなかった栄冠を手にしたのだった。(参考リンク1、2)
幸英明騎手は最期を看取ったのか?
当初の記事において、この記事の記載に基づき、幸騎手が騎乗停止になったためスティルインラブの最期を看取る事ができたという旨の記述があり、それが事実として取り扱われてきた。
しかし、スティルインラブの死亡時に幸騎手は「とにかく驚きました。今年初仔を産んだばかりで期待していたところなのに、とても残念です。札幌開催が始まった頃には会いに行くつもりだったのに…。彼女にはGIを獲らせてもらい、私を男にしてくれたことに本当に感謝しています。心からご冥福をお祈りいたします。」とコメントしている。これを踏まえると、この記述は、実際にはスティルインラブが亡くなる前に会いに行ったのではなく、「お別れ」=引退時の面会、あるいは(恐らくこちらの方が可能性が高い)亡くなったあとに催された「お別れの会」などの際などに、スティルの墓前に向かったということをこの記事においては「お別れに行くことができた」と言い表している可能性が高い。
関連タグ
外部リンク
スティルインラブ | 競走馬データ – netkeiba.com
JRA-van - スティルインラブ 勝負強さで17年ぶり牝馬三冠
東スポ競馬連載「ここに幸あり」(15~25がスティルインラブ関連の内容)