ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

IV号戦車の編集履歴

2013-02-10 19:49:55 バージョン

IV号戦車

よんごうせんしゃ

第二次世界大戦全期間を通してドイツ陸軍などで活躍した戦車。元々「火力支援戦車」として開発されていたが、戦争の激化に伴って大口径の火砲が扱えるⅣ号戦車に重点が移っていった。大戦全期に渡って生産され、一部では戦後も活躍している。イスラエルの捕獲したシリア軍の車両は有名。

解説

前史

ナチスが政権をとる以前から、ドイツ国防軍は密かに再軍備のための新型戦車の開発を行っていた。

1934年、NbFzと呼ばれる多砲塔戦車の試作車が作られたが、大きく重かったため、これに代わる戦車の開発が求められた。ハインツ・グデーリアンにより求められた戦車の仕様は二種類あり、後の主力戦車であるIII号戦車と、ベグライトヴァーゲンとして開発指示が出された、後のIV号戦車であった。


競争

4つのメーカーにより競作された結果、1936年4月に完成したクルップ社のBW(バタリオンスフューラー・ワーゲン=大隊指揮官用車) Iをもとに、増加試作車的なA型、次いでB・C型が作られた。そして1939年からD型が本格的に量産され、度々設計変更が加えられ続けJ型までのバリエーションが作られていった。


仕様

当初から3人が搭乗するバスケット式の砲塔を搭載し、後の武装強化に対応できる大きめのターレットリングを備えていた。戦車長は砲塔後部に位置し、キューポラから周囲を監視しながら指揮に専念できた。

また装填手以外の全員はタコホーン(喉頭マイク)とヘッドセットを装着し、インターコム(車内通話装置)で騒音の中でも対話できた。乗降用ハッチは全員分の数があり、撃破された際の素早い脱出が可能であった。一方で車体構成は保守的で、地形追従性の低いリーフスプリング・ボギー式懸架装置を採用していた。これはIII号戦車のトーションバー式に比べ路外機動性で劣ってはいたが、整備や修理が容易であり、また車体の底に脱出ハッチを設置できた。


当初、短砲身24口径7.5cm砲が搭載され、III号戦車の火力支援任務にあたっていた。イギリス軍のマチルダII歩兵戦車など装甲の厚い敵戦車との対戦で、より強力な火力が必要とされ、1941年2月にヒトラーによって60口径5cm砲の搭載が命じられた。これはD型をもとに一輌が試作されたが、より強力な長砲身7.5cm砲の搭載が検討され、(もともと40口径で設計されていたものを、車体より前にはみ出ないよう求められたため)34.5口径の新型砲が試作された。さらに独ソ戦がはじまると、ソ連軍T-34に対して、すべてのドイツ対戦車兵器の威力不足が明らかになった。このためより以上の武装強化が必要とされ、F型の生産途中から長砲身43口径75mm砲が搭載された。

こうして火力支援戦車だったIV号は、III号戦車に代わる主力戦車となり、北アフリカ戦線においては大きな戦果を上げ、連合軍からは「マークIVスペシャル」として恐れられた。

(ただし当初は9台、最大でも35台にすぎなかったが)


評価

本車はドイツ戦車の中で最も生産数が多く(戦車以外の装甲戦闘車両まで範囲を含めれば、III号突撃砲がトップ)、改良が限界に達した大戦中期以降も主力であり、敗戦時まで使用され続けた。ドイツ陸軍兵器局は、大戦末期に出現したT-34/85との比較試験を行い、IV号戦車はあらゆる比較項目で圧倒されるという結論に至っていたが、全ての生産ラインをパンターに切り替える時間的余裕があるはずもなく、グデーリアンの強い反対もあって、本車の生産を中止するという選択肢はなかった。


IV号戦車は同時期に開発されたIII号戦車と比べ、ターレットリングの直径が大きかった(車体サイズ自体は大差がない)ため、その後の武装強化に対応することができ、主力戦車としての地位を占めることができた。ドイツ戦車部隊のワークホース(使役馬)と呼ばれ、戦況が求めるさまざまな要求に応じるべく、車台を流用したIV号駆逐戦車ナースホルンから架橋戦車や弾薬運搬車などの多種多様な派生型を生み出した。

IV号戦車はドイツの同盟国などにも輸出され、G型以降の型がイタリア、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、フィンランド、スペイン、トルコの各軍に配備され、戦後もしばらくの間使われていた。チェコスロヴァキアが保有していた中古を購入したシリア軍のIV号戦車が、中東戦争でイスラエル国防軍のセンチュリオンと交戦した記録がある。


Ⅳ号のあゆみ

上記のとおり『火力支援戦車』として開発されたⅣ号戦車だったが、その生涯は波乱に満ちていた。

ポーランドフランスの戦場で初陣を迎え、続くソビエトとの戦争では主力の座にのぼりつめた。


その要因はターレットリングが大きく、大口径砲(75mm砲)の搭載が可能だったからである。

(これも上記)

ターレットリング(砲塔の直径)が大きいという事は砲塔内の容積も大きいという事でもあり、

主砲の砲尾などを収める空間を確保できたのである。


攻撃力

戦争が激化するにしたがい、当初24口径だった主砲は間もなく43口径に強化され、

さらに48口径のkwk40で頂点を極めた。

だが、大戦前に設計された戦車ではそれが限度だった。既に強化する余地が無かったのだ。

(実は登場当時でも目新しいところは少なかった)


実際、パンターと同じkwk42(L/70)に換装する計画もあったが、

・砲塔に入らない

・たとえ収めても砲塔の重量バランスが取れない

KV-2同様、傾斜地ではどうなるか等)


反動の問題や走行性能など重量増による短所等を割愛しても、なおコレである。

月刊「モデルグラフィクス」誌上では強化案コンテストも行われたが、結局『当時ドイツがやったようにするのが一番適当だった』という結論に終わっている。

(「一番良かった」という意味ではない。「他にどうしようも無かった」という意味である)


戦車砲における「口径(L/〇〇)」とは

「砲身長が砲口径の何倍あるか」(つまり砲身長)を示す。

長いと装薬による加速時間が増えるので徹甲弾に有利、

短いと榴弾の爆発が散りにくくなるので歩兵支援に有利となる。


なお口径が同じでも、砲身長が違えば最適な装薬量は変わるので、多くの場合同じ弾薬は使えない。

実際にkwk40(Ⅳ号戦車用L/48)とkwk42(パンター用L/70)、そしてPak40対戦車砲)はすべて違う砲弾を使っており、この事は補給上の問題にもなっている。


防御力

さて、戦前の設計による限界は攻撃力だけに留まらない。

主砲がkwk40(L48)に換装されても、砲塔の防御力はそのまま(50mm)にされたのだ。

これはターレットリング径による制限が原因で、攻撃力に対応したら、装甲を強化できなくなったのである。


砲塔は敵に向いている事が多い。

つまり敵に向く箇所の装甲が薄いという訳で、実際に大戦後半の写真には粉々になっている残骸も多い


また正面に整備ハッチが(しかも無造作に)あるのも弱点である。

これはトランスミッションやブレーキの点検・整備用で、もちろん装甲は薄い。

側面装甲は最後まで30㎜のままとされており、距離によっては対戦車ライフルでも危険である。

(これでもD型の20㎜より強化された)


生産について

当時(1942年)のドイツでは

38(t)戦車自走砲用の車台)

Ⅱ号戦車自走砲用の車台)

Ⅲ号戦車

・Ⅳ号戦車

・III/IV号火砲搭載車輌(ナースホルンフンメル専用車台)

ティーガー

と、戦車だけで6種類もの車台が作られている。

しかも1943年にはパンターも加わり、生産現場は一段と混乱を極める事になる。

(ただしⅢ号戦車は空襲で工場が壊滅して生産終了)


この事は当時からも問題になっており、「戦車自走砲の車台を共通して生産する」という『E計画』が提案されている。だがいずれも完成する事はなく、結局は『生産中の兵器生産に全力を注ぐ』事とされて敗戦に至る事となる。


そうして生産力が足りない状況でもⅣ号戦車シリーズは約11000台が生産され、「ドイツ兵あるところにⅣ号あり」と言われる程に活躍した。これはⅢ号突撃砲ほどではないものの、ドイツ戦車としては髄一の生産数である。

ティーガーは約1000台、パンターは約6000台)

他にも各種自走砲の車台に使われ、珍しいものでは『カール自走臼砲』の弾薬車にも使われた。


戦後しばらくは元同盟国でも使われており、シリア軍ではイスラエルとの戦争に投入した。

(元はチェコスロバキアで使われていた中古車)


E計画が見送られた理由

すでに戦争は始まっており、当然ながら戦車生産を止める訳にはいかない。

こんな状況で「E計画」を進めるには稼働中の工場を止めず、さらに新工場も建てる事が必要なのだ。


ナチスドイツは技術力こそ高かったが、生産力などはアメリカソビエトよりも劣っている。最後までギリギリのやり繰りを続けていたのだ。

つまり工場を順次改修する余裕が無ければ、新しく工場を建設する余力も無かったのである。

(事実、そんな余力があるならもっと生産できた筈である)


そんなわけで、計画の優先順位はすっかり後回しにされてしまった。

最後には数人の工員によって細々と続けられるのみとなり、終戦時点には「E-100の車体だけは完成に近づいていた」だけだったという。


歩兵直協戦車としては

戦車部隊の主力を務める事になったため、主砲は対戦車攻撃重視のものに換装された。

だが、その分(元々の)歩兵支援任務が手薄になったため、外された短砲身75㎜砲はⅢ号戦車に搭載される事になった。


こうして1943年に生まれたのがⅢ号戦車の最終生産型「Ⅲ号戦車N型」である。

既に前線での活躍に耐えられないと見做されていたが、こうして返り咲く事になった。


kwk37型75㎜砲は小型なので、Ⅲ号戦車砲塔にも十分収まった。

また、この砲は榴弾の威力に優れており、

例えば歩兵に随伴してトーチカのような火点に直接砲弾を撃ち込む』といった用途に重宝された。


歩兵支援の他には訓練でも使われており、

ノルマンディーでは独立重戦車大隊(ティーガー装備)が訓練用戦車を持ち出して対応した。

J型〜L型の各種車体を使って生産され、新造は合計で663台。修理ついでに改造したものが37台。


性能諸元(D型)

全長:5.92m

全幅:2.84m

全高:2.68m

重量:20t

エンジン:マイバッハHL120TRM 水冷V型12気筒ガソリンエンジン 300馬力

速度:最大40km/h

装甲:10〜30mm

武装:7.5cm KwK37 L/24 1門 7.92mm MG34 2丁


登場作品


関連タグ

戦車 中戦車

I号戦車 II号戦車 III号戦車 パンター ティーガー

ガールズ&パンツァー ガルパン GIRLSundPANZER あんこうチーム

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました