五月雨と夕立のカップリングは「さみだち」もしくは「第二駆逐隊」を参照の事。
概要
軽巡洋艦「夕張」と駆逐艦「五月雨」という、やや珍しい異なる艦種のカップリングだが、れっきとした史実カップリングである(むしろ史実では軽巡洋艦×駆逐艦で『水雷戦隊』として行動している)。
ゆうさみとなっているが、夕立や夕雲ではなく夕張なことに留意していただきたい
「夕張」と「五月雨」を巡る史実
1943年11月2日、五月雨は、ブーゲンビル島沖海戦で白露と衝突し大破。14日にはトラック島に回航され応急修理を受けた。そのころ、夕張は輸送任務に従事していたが、24日に空襲で損害を受けてしまった。12月8日、夕張がトラック島に到着。14日には、五月雨と共に修理のため横須賀に回航された。
1944年3月22日、修理を終えた夕張は、南方への輸送船団(東松三号船団)を護衛するため東京湾を出発し、30日にサイパンに到着した。五月雨は、4月1日に東松四号船団を護衛して東京湾を出発し、10日にサイパンに到着した。4月23日、夕張、軽巡洋艦鬼怒、五月雨、駆逐艦夕月(2020年5月時点で艦これ未実装の睦月型)、駆逐艦浦波は、セント・アンドリュース諸島へ向かう輸送船団を護衛してサイパンを発った(途中で鬼怒、浦波組と夕張、夕月、五月雨組に分かれる)。27日、夕張、夕月、五月雨は、同諸島ソンソロール島への輸送任務を完了した。先に揚陸作業を終えた夕張と夕月はパラオへ向かった(この時点で、五月雨は揚陸作業を継続中)。その途中、夕張と夕月が米潜水艦「ブルーギル」に発見されて夕張が被雷し、機関室を損傷して航行不能に陥ってしまった。駆け付けた五月雨が曳航を試みるが、上手くいかなかった。翌28日には浸水区画が広がり沈没し始めたため、重傷者と重要書類を五月雨に、他の生存者全員を夕月に移乗させた上、五月雨が再度曳航を試みるが、やはり失敗してしまった。
同日10時15分、夕張は沈没した。この時、夕張より船体の軽い五月雨が海中に引きずり込まれる可能性があったため、五月雨は曳航索を放さざるを得なかった。
夕張の轟沈セリフは、この時の史実を反映しており、二人の関係性が見出されるきっかけとなった(気になる方は艦これwikiの夕張の項目へ)。
創作におけるゆうさみ
創作の傾向としては、当初は夕張沈没時の史実に関連付けて感動・再会系の創作が作られることが多かったが、健気な五月雨にロリコン寸前の夕張がデレデレだったり、(五月雨のことが大切すぎて)ヘタレな夕張が五月雨相手にヘタレつつも奮戦する……といった創作も目立っている。
関連イラスト
関連タグ
夕月 - 睦月型の末っ子にして五月雨と共に夕張を救助した駆逐艦。
さみなが - 五月雨と長波のカップリング。長波はラバウル空襲で大破した後、トラックへ曳航されたときに夕張が護衛している。