しぐさみ
しぐさみ
ブラウザゲーム『艦隊これくしょん』に登場する、「時雨」と「五月雨」に付けられるコンビまたはカップリングタグ。
改二組の一角と、初期艦娘の一人という、人気の白露型駆逐艦娘の組み合わせ。
史実ではこの二隻は深い縁があるのだが、ゲーム中では絵師も別々になっており台詞での言及もない。故に二次創作でも組み合わされることが少なく、pixivでもこのコンビを描いた作品を複数枚投稿しているのはのら氏と繆氏だけである(2023年1月時点においてこのタグがつけられているイラストの過半数がこの両氏の作品)。逆に史実ではさほど縁があったわけでもない時雨と夕立・五月雨と涼風の組み合わせは絵師つながりということで人気が高く、公式イラストなどでも組み合わされる事が多い。
公式においても白露との絡みが重要視され、五月雨との組み合わせが取り上げられた事例は一部の任務だけである。
「艦これ」いつかあの海でにおいても、二七駆は白露・時雨・有明・夕暮で編成されており、白露があたかも時雨最後の相棒であったかのように描かれているが、史実においては五月雨の方が喪失は後(白露:1944年6月、五月雨:1944年8月)であるし、有明・夕暮の戦没後には春雨(史実では白露より少し前に戦没)も加わっていたはずである。
山城の台詞、そして在りし日の二七駆逐の描写から見ても、五月雨(と春雨)は1話の時間軸の時点で既に戦没ないし除籍、あるいはこの世界では最初から第二七駆逐隊の一員ですらなかった、そもそも存在していなかったという負の可能性すら示唆されている。
もちろん、ただ作中での解隊描写が省かれただけという可能性もあるが。
時雨と五月雨は、ともに浦賀船渠にふたつある建艦ドックで並んで一緒に建造されており、姉妹の中でも双子のような存在である。(浦賀船渠では、のちに山風と涼風も建造されている)さらに進水後も同じ岸壁で艤装作業が進められたため、お互いにとって「初めて顔を合わせた姉妹」でもある。
太平洋戦争の開戦時、時雨は白露、そして初春型の有明・夕暮とともに佐世保鎮守府を母港とする第二七駆逐隊を編成しており、五月雨は夕立・村雨・春雨と共に横須賀鎮守府を母港とする第二駆逐隊を編成し別々であった(この事は五月雨が図鑑でも語っており、夕立・村雨・春雨の事を「友達」と呼んでいる)。但し、時雨就役当初の27駆は横須賀鎮守府を母港とする第九駆逐隊であったため、同じ母港の別の隊の所属艦同士であった。
しかし激しい戦闘の中で第二七駆逐隊は有明と夕暮を失い、第二駆逐隊も夕立と村雨を失った。
このため第二駆逐隊は解隊され、残存の五月雨と春雨は、時雨と白露が残る第二七駆逐隊に編入され、同じ駆逐隊の僚艦として行動を共にすることになる。
時雨と五月雨は第二次ベララベラ海戦にてアメリカ海軍第4駆逐部隊旗艦「セルフリッジ」を共同で撃破するなど、数々の武勲を打ち立てている。その活躍は天皇陛下の上聞に達するところとなり、二隻は揃って恩賜の短刀を授けられているほどである。
激戦の中で春雨、そして白露も失われていく中、この二隻は白露型では最後まで生き残った二隻となった。
だが深い縁に結ばれた時雨と五月雨も、運命の1944年8月についに別れの時が訪れる。時雨たちと共に輸送任務に就いていた五月雨は、ミスからサンゴ礁に座礁して重傷を負い、行動不能になってしまった。
時雨は輸送任務を果たした後に五月雨の座礁現場に戻り、傷ついて身動きの取れない五月雨に救援物資を渡してその場を離れる。だがこの時が、最後の別れとなってしまった。
座礁した五月雨は身動きが出来ないまま、米軍潜水艦の雷撃を受け艦体断裂・沈没。これをもって、白露型姉妹の生き残りは時雨ただ一隻だけとなってしまった。
時雨と五月雨にとっては、お互いが初めて出会った姉妹であり、共に戦い、そして最後に別れた姉妹ともなったのである。