クラウス・ノミ
くらうすのみ
少年時代にマリア・カラスに影響され、ソプラノ歌手を志す。1972年にベルリンの音楽学校を卒業後、ニューヨークに移住する。ここでは歌手活動の傍らホテルのパティシエもしており、菓子作りの腕は職人並でケーブルテレビなどで紹介されたりもした。1979年頃からデヴィッド・ボウイのバックコーラスとしてパートナーのジョーイ・アリアスとともに脚光を浴びる。そして1981年にはファーストアルバムの「Klaus Nomi」、1982年には「Simple Man」をリリースするが、このころにはHIVに感染しており「Simple Man」がラストアルバムとなってしまう。そして1983年8月6日夜、AIDS発症のためジョーイ・アリアスに看取られながら39年の短い生涯を終えた。ノミの遺灰はニューヨークの街に撒かれた。
長年ノミの価値観や存在感は相当に風化していき忘れ去られかけていたが2005年には関係者などの証言などを集めたドキュメンタリー映画「ノミ・ソング」(The Nomi Song)が製作、上映され、再び注目を集めた。
経歴で上げた通りパティシエとしても頭角を現した影響もありライムタルトを得意としており、本人のドキュメンタリー映画こと[ノミ・ソング]の日本語版(現在閉鎖)ではタルトのレシピも表記されるほどでライムタルトとは切っても切れないくらい情熱や虜ぶりがうかがえることでファンの間では有名である。
また、塩の魔人(岩井勇気が演じるコントのキャラクター)の風貌はノミをオマージュしたものである。
デザイナーの永野護は彼に思い入れがあるのか、重戦機エルガイムで彼のルックスをモチーフにしたマフ・マクトミンというキャラクターをデザイン。
その後ファイブスター物語でもその翻案としてミラージュ騎士団右翼の中堅ポエシェ・ノーミン(第1話で登場)、左翼の鬼札シャフト:バーグル・デ・ライツァー大公という2人の人物を登場させている。
漫画家桜玉吉はファミ通に90年代掲載されたカラー漫画ラブラブROUTE21内で、白塗りの暗黒舞踏家ひさしが雪原でクラウス・ノミに出会うというギャグ(着色しなくてよい)を描き、当時のゲーム少年少女にその名を知らしめた。