概要
元々は中学生以下を対象とした育成世代のチームを運営するクラブチームとして1989年に誕生した。Jリーグ参入を目指すことになるトップチームが誕生するのはそれから11年後の2000年であるので、クラブとトップチームの歴史は異なっている。
クラブ誕生のきっかけは1980年代まで遡る。当時の浦安市には『マルちゃん』ブランドでお馴染みの東洋水産が主催するサッカースクール『マルちゃんサッカースクール』が存在していた。そしてそのスクールでは、東京ヴェルディの前身である読売サッカークラブのOBたちが指導者として携わっていた。なお、そのスクールを行っていた場所が東洋水産が所有していた野球場である(野球場の名前は『マルちゃん浦安球場』であった)。後に会社の都合により野球場が無くなることになり、同時にマルちゃんサッカースクールも無くなることになった。そこで当時、スクールに参加していた子供たちの保護者らによって、スクールの代わりとして創設されたサッカークラブが、クラブ組織としてのブリオベッカ浦安の前々身に当たる、浦安ジュニアサッカークラブ(浦安JSC)である。(ソース1/ソース2/ソース3)
以降、1991年にユースチーム、1994年にレディースチーム、そして2000年にトップチームが誕生する。ただし、ジュニア(U-12以下)よりも上のカテゴリのチームが誕生してもクラブ名称及びチーム名称は浦安JSCのままであった。これは代表の谷口和司曰く「我々はジュニアを大切にしようとやってるので名前を変えずに社会人選手もやっていこうと」とのこと。しかし、案の定そのままでは色々不都合が出てきた。そのため2012年には浦安サッカークラブ(浦安SC)に改称し、更に2015年に「地域に愛されるチームにしていこう」という名目で現在の名称となった。
愛称の『ブリオベッカ(Briobecca)』とは、ケルト神話に登場する槍である「ブリューナク」、そして浦安近くで海苔の採取に使われた1人乗りの船のことである「べか船」、この2つを組み合わせた造語である。
さて、Jリーグ昇格を目指すトップチームは、2015年に地域CL決勝ラウンド2位で一度JFL昇格を決め、初参入を果たしている。が、わずか2年で関東リーグに降格してしまう。降格時は監督を途中交代させるなど足掻いたが、成績が好転することはなく、ブービーでの降格であった。その後は粘り強く関東1部で上位争いしながらJFL再昇格の機会をうかがっていた。そして、2022年の全国社会人サッカー選手権大会本選で優勝になったことにより、関東1部で6位ながらもワイルドカードの扱いで地域CLに出場する。そして、予選グループを3勝全勝で突破し、決勝ラウンドは2勝1分で切り抜けて地域CL初優勝を飾り、JFL再昇格を果たした(特に決勝ラウンド最終戦の相手は、かつてJFLから関東1部へ一緒に降格した相手でもある栃木シティFCであった)。
2024年には新たに市川市をホームタウンに追加した。ただし、市川市自体には同年時点でJリーグを目指すチームが2つ存在している。翌2025年には名称を『ブリオベッカ浦安・市川』に改称した。何処かで観たことある表記だが多分偶然である。
ホームスタジアム
浦安市運動公園陸上競技場。なお、ブリオベッカ浦安自体がネーミングライツを取った関係で、現在の呼称は『ブリオベッカ浦安競技場』という名前になっている。
ただし、ピッチ上の芝が人工芝である関係で、天然芝が求められるJFL以上のカテゴリでは同スタジアムは使えなかった。所有者である浦安市、そして運営者である公益社団法人うらやす財団との話し合いで、是非とも天然芝を敷いて、JFL、更にはJリーグでも使用されるように改修されてほしいところである。
マスコット
猫をモチーフにした『舞田べか彦』。ケモショタっぽくデザインされている。元々浦安市が地域猫の多い地域であることも誕生のキッカケとされている。片手にはでっかい槍を持ってはいるが、クラブ愛称の基(ブリューナク)に因んでいるものと思われる。なお、住んでいる地域として設定される『猫実(ねこざね)』は、浦安市内に実在する地域である。
別名・表記ゆれ
- 浦安JSC/浦安ジュニアサッカークラブ - 創設当時の名称
- 浦安SC/浦安サッカークラブ - 1度目の改称時の名称
関連タグ
- 東京ヴェルディ/読売サッカークラブ - 運営に関わるクラブOBが多く、現在のトップチーム監督で元日本代表選手でもある都並敏史も読売クラブ時代から続く東京ヴェルディのOBである。
- ジェフユナイテッド千葉/柏レイソル - Jリーグ在籍の千葉県内のプロサッカーチーム。但し前身時代は、前者が元は神奈川県のチーム、後者が元は東京都のチームであった。
- 東洋水産 - カップ麺大手企業の一角。クラブとの関係は概要に記述した通りである。