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モリワキ

もりわき

株式会社モリワキエンジニアリングのこと。二輪・四輪車用の部品・用品の研究開発、レース参戦、製造販売を手がける。
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概要編集

株式会社モリワキエンジニアリングのこと。

二輪車四輪車用の部品用品の研究開発、レース参戦、製造販売を手がけ、レース車両のフレーム製作で知られる。

本社鈴鹿サーキット三重県)に近い鈴鹿市にある。


沿革編集

1973年、吉村秀雄ヨシムラの創業者)のチームのライダー娘婿だった森脇護が、吉村との意見の相違で勘当され、独立し創業した。エンジンのチューニングやヨシムラ製品の開発・輸出を請け負った。

1974年、カワサキZ1のレース用チューニングを手掛ける。市販車改造カテゴリーのレースに積極的に参戦。

1977年、自社製競技用車両「ME125」を開発。

1978年、カワサキZ650ザッパー)のレース用チューニングを手掛ける。鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦。

1979年、オートバイ用の集合管「モンスターエキゾースト」を販売開始。


1980年、カワサキZ1000用のアルミフレームを開発。鈴鹿8耐ワイン・ガードナーポールポジションを獲得した。ワークスを凌駕する性能に注目が集まる。

1983年、ホンダCBX400Fのエンジンを積んだ「モリワキZERO」でノービスF3クラスに参戦。

1984年、本格的に250ccクラスへ復帰した本田技研工業からRS250の供給を受け、TT-F1クラスでもホンダCBX750Fのエンジンを積んだ「モリワキZERO-X7」で参戦。HRCとは現在も友好関係が続いている。TT-F3クラスで宮城光、TT-F1クラスで八代俊二が全日本チャンピオンとなる。

1985年、加入条件をサーキット初心者にまで広げた「モリワキクラブ」を立ち上げた。


1992年、ナショナル自転車(現・パナソニックサイクルテック)とマウンテンバイク「B-PMXP」を共同開発。

1993年、「ZEROエキゾースト・システム」を販売開始。


2000年、ST600クラス向けにホンダCBR600F4iのコンプリート・マシンを販売。

2007年、GP-MONOクラス向けにホンダ製2サイクルエンジンの「MD250H」を販売開始。

2008年、モリワキクラブの乃村康友がGP-MONOクラスの全日本チャンピオンとなる。

2009年、Moto2クラス向けにホンダ製4サイクルエンジンの「MD600」を販売開始。


2010年、モリワキクラブのトニ・エリアスがMoto2クラスの初年度世界チャンピオンとなる。乃村康友が競艇選手に転向。

2019年、シーズン終了後、全日本ロードレース選手権及び鈴鹿8耐からの撤退を発表。


2023年、創立50周年を迎えた。森脇尚護が社長に就任。


関連タグ編集

メーカー 企業 オートバイ パーツ 鈴鹿8耐

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