概要
1986年3月17日生まれ。父アンバーシャダイ、母イーデンブルース、母父マッチウォン。
デビュー
1988年11月5日の福島競馬場のデビュー戦を2着、12日の2戦目を2着、26日の東京競馬場の未勝利戦(ダート)で勝利。若竹賞(400万下)4着、東京競馬場4歳400万下(ダート)を勝利、共同通信杯(GⅢ)2着。
「超」不良馬場の弥生賞
1989年の弥生賞(GⅡ)はまるで田んぼの様な「超」不良馬場となり、大本命のサクラホクトオーが馬群に沈むのを尻目に、レインボーアンバーは第4コーナーで先頭に立ち後続を突き離し、2着ワンダーナルビーに1秒7の差をつけ大差勝ちを決めた。
弥生賞後
弥生賞後、左前の裂蹄のために皐月賞を直前で回避、東京優駿も出走を断念した。秋になって復帰し、京都新聞杯5着、菊花賞ではバンブービギンの2着と健闘。故障のためその後はレースに出走せず、菊花賞がラストランとなった。
引退後
種牡馬としては、35頭に種付けして産駒26頭(うち血統登録25頭)、出走に至れたのは22頭であった。代表産駒は地方重賞を2勝したツルギアンバー(読売レディス杯、スプリンター争覇)、地方で108戦4勝と長く走ったレインボーレオ。
母父としては、初年度産駒の1頭レインボーファストの仔に兵庫ジュニアグランプリを制したエースインザレース(父ディアブロ)、その半妹にあたるレーゲンボーゲン(父フレンチデピュティ)の産駒に2018年の天皇賞(春)優勝のレインボーライン、2010年のローズステークス優勝のアニメイトバイオが出ており、今もなお血統表にその名を残している。
1996年1月に用途変更。その後の詳しい消息は不明ながら、競走馬のふるさと案内所の記載によれば、沙流郡日高町の前川義則牧場に、ブラックタキシードのものとともに墓碑がある。