国鉄が1966年にデビューさせた、営業最高速度100km/hでの運転に対応した10000系高速貨車の冷蔵車である。
主に鮮魚などを運ぶ特急貨物列車に使用された。
車体
コンプレッサーや熱交換器、フロンガスなどを用いた冷却設備(冷凍機械)を持たず、ドライアイスを冷媒を使用して車内を低温に保つ、いわばクーラーボックスのような構造の車両である。
塗色は白一色で、東海道線や山陽本線などの花形路線でも、真っ白な貨車が長々と連なる様はめっぽう目を引く存在であった。
通常の貨車であるレサ10000と、車掌室付きの緩急車レムフ10000が存在した。
レムフ10000のうち車掌室の部分だけは青色(青15号)であった。
室内は前後の2室に分けられており、どちらか片側のみを使用することも可能である。
走行装置
台車は空気ばねを使用したTR203で、これは同様の性能のコンテナ車コキ10000系や、有蓋貨車ワキ10000と同じである。
制動装置は貨物の積載量に応じて制動力を制御する応荷重装置と、機関車からの指令で作動する電磁弁が付いたCLE方式の制御弁が採用されたため、100km/hの高速走行中からでも安全な距離で停止させることが可能になった。営業最高速度100km/hは当時としては最も高速で運行できる冷蔵車であった。
しかしながら、これらの装置は10000系貨車以外には備わっておらず、通常のブレーキ管(BP管 5kgf/cm2)の他に高圧の元空気ダメ管(MR管 9kgf/cm2)の引き通しが必要だったほか、ブレーキ装置の電磁弁を機関車から制御するためのジャンパ線の接続が必要だった。
連結器は、ブレーキ管と元空気ダメ管が同時に接続できる専用の密着式自動連結器である。
このため、けん引する機関車は専用の装備を持つ機種、車両に限られた。
一応、高速貨物列車以外の貨物列車に連結したり、一般的な機関車でけん引する事も可能ではあったが、台車の空気ばねのための圧縮空気がブレーキ管から供給されるため、通常の貨物列車に連結する際には1列車につき10000系貨車は6両以下に制限された。
また、列車掛(車掌)は特殊なブレーキ装置についての教育を終えていることが条件であったため、運用にかなり制限がある貨車であった。
生鮮食品を運ぶ冷蔵車の場合は専用の荷役設備がある駅同士を結ぶ限定的な運用であったため、運行上の問題はさほど大きくならなかったが、コキ10000やワキ10000は様々な路線を走る可能性があったため、かなり気を使う存在だったそうである。
レムフ10000には、山陽本線の瀬野~八本松間で補機を連結する場合は走行中解放を行うため、連結器にブレーキ・元ダメの2種類の空気管の他にブレーキ制御用の電気連結器が備わっていた。この装備はコキフ10000と同様だった為、コキフが不足した際にはピンチヒッターでレムフが充てがわれた。
運用
基本的に特急鮮魚貨物列車として、同系式のみで組成された10~20両編成で運転され、大規模な漁港数箇所から集まる貨車を貨物駅で組成した後、東京・大阪などの鮮魚市場内の駅まで特急旅客列車(※)と同格の優先度で運転する方式で、基本的に乗務員交代以外では停車せず途中で操車場を経由して編成組み換え作業を行うこともなかった。
また、他の貨車に比べると運転区間がほぼ固定されていると言っても過言ではなく、同形式の多数の貨車が同時に長距離を長時間高速で走行するという使われ方であったため、検修・整備体制も本形式独特なもので、士業や整備要領などの運用状況は貨車というよりどちらかといえば客車に近かったそうである。
- (※)国鉄本社の指示のもと運転され、急行旅客列車より運転優先度が高かったので、時に「急行を退かせて貨物列車が往く」という具合であった。
主な列車
全車が福岡県の香椎貨車区に配置され、その高速性能を活かして山口県下関市の下関貨物(幡生)駅~東京市場駅(築地市場)を27時間で結んだ「とびうお」、博多港駅~大阪市場駅の「ぎんりん(銀鱗:鮮魚の意)」といった長距離特急貨物列車に用いられた。
当然ながらいずれの列車も、到着日早朝に行われるせりに間に合うよう、つまりせりが始まる時間までには荷役を終えられるよう運転されていたため、夜間を走行する近畿地方から関東地方では(復路はともかく)撮影が難しい列車だった。
東京市場駅行きの「とびうお」の場合、東海道線の東京近傍に敷かれた貨物線経由では遅くなるので、旅客線経由で運転されていた。
前述のとおり貨車としては複雑な車両であったため、殆どの便の列車掛(車掌)は香椎など10000系貨車が配置されていた貨車区の乗務員が充てがわれた。
レサ10000は基本的に東海道・山陽本線で限定的に運用されていたため他の線区を走行することは非常に稀で、例えば東北地方から東京に鮮魚を輸送していた高速貨物列車「東鱗」の場合、荷室はレサ10000と同等ながら、足回りを簡略化した最高運転速度85km/hの冷蔵車レサ5000が中心に用いられていた。
(レサ5000は製造数が少なかったため、数両のレサ10000が「東鱗」用に貸し出され、八戸駅に臨時常備されている)
機関車は、基本的に高速貨物列車向けに開発されたEF66が用いられた。
ただし、EF66の登場は10000系貨車よりやや遅く、当初はEF65に10000系貨車を牽引可能な装備を載せた500番台(F型)を重連で使用していたものの、表定速度が高い列車には不向きで頻繁に整備する必要があったそうである。
終焉
レサ10000を利用した生鮮食品類の鉄道輸送は、国鉄民営化の前年である1986年3月に最後まで残っていた「とびうお」が、冷蔵コンテナを通常のコンテナ車(コキ10000)に載せる形に切り替えられ、全ての運行が終了した。
これは復路を空荷で高速走行させる必要がある点が不経済であると問題視されたことや、長年に渡って長時間長距離の高速走行に供されたため車体の老朽化が早かったこと、鮮魚を運んでいたため常に荷室内が濡れていたり湿度が高かったりといった状態であるため荷室の劣化具合が他の形式と比べて酷かったことなどが重なった為であった。
しかし同列車のコンテナ化後も緩急車であるレムフ10000のみが残り運用されていたが、同年11月の改正で運用を離脱。全ての車両が民営化前に廃車され、JR貨物に継承された車両は存在しない。
JR貨物によって旧東小倉駅(現:北九州貨物ターミナル)構内に保管されていたレムフ10000(トップナンバー)が大宮の鉄道博物館へ寄贈され、現在館内にて展示されている。