操車場とは、車両を用いる交通事業者が使う言葉の一つ。次のとおり複数の意味がある。
- バス、タクシーなどの旅客を輸送する事業を営む事業者や、或いは自動車を用いて貨物を輸送する事業者が、事業の拠点とする設備の呼名の一つ。交通業界や運送業界で用いられる「営業所」や「車庫」と同義である。
- 鉄道事業者において、専ら貨車や客車を行き先別に連結させて列車を組成したり、或いは逆に切り離したりといった作業を行う設備。「ヤード」とも。
拠点とする設備の呼名
自社が運行する車両を保管、整備といった車両そのものの管理や、或いは配車などの運行上必要な指示を与えるための設備。事業者の規模によっては、本社の機能を兼ねることもある。
一例では「立川バス」がこの呼び方を使用している。
列車の組成や切り離しをする設備
鉄道業界における「操車場」とは、鉄道事業者が保有する設備のうち、特に貨物列車を行き先別に仕立てたり、貨車を繋ぎ変えたりする作業を専門に行う設備を指すことが殆どである。仮に同様の作業を行いつつも、旅客の乗降や貨物の積み下ろしを行う「駅」や車両の検修や整備作業を行う「貨車区」「客車区」とは明確に区別される場合が多い。わが国では、コンテナ輸送や直行貨物列車と比較すると著しく非効率的であるとして1984年に全廃された。
操車場方式の問題
作業従事者の安全性
貨車の分割や連結作業は人の手を要したので、これらの作業に従事する連結手は様々な危険に晒された。連結手は貨車や機関車が絶え間なく走り回る構内であらゆる場所に向かわなければならなかったし、かつて日本でも使われていたネジ式連結器は解結作業に大きな危険が伴った。
自動連結器が導入されるとネジ式連結器ほどの危険性は減ったものの、列車の組成作業には依然として危険が残った。
操車場では、パンプと呼ばれる坂で貨車に勢いを付けたうえで連結させたり、或いは機関車で貨車を押したあとに連結器を解放して切り離し、貨車を惰性で連結位置まで走らせる「突放」と呼ばれる作業が行われていたが、指定された列車に貨車を連結させるときには、連結手が単独で走る貨車に乗って安全な速度に落ちるまでブレーキを掛ける必要があった。
この作業は、貨車に付けられた僅かな足場に脚を載せてブレーキを掛けねばならなかったり、走行中の貨車に飛び乗る必要があったりと、鉄道従事者の中でも最も危険な業務の1つであった。
故に落車による骨折などはまだマシな方で、触車による殉職や、手脚の轢断といった悲惨な大怪我を負う可能性があったのである。
かつて国鉄駅構内などでKIOSKや駅そば屋などを運営していた「鉄道弘済会」は元々この殉職職員の遺族の救済や、義肢の製造を目的に作られた組織である。
このような危険な業務から労働者を遠ざけるべく、一定規模以上の操車場では車両の減速をいわば「線路に付けられたブレーキ」で行う『カーリターダー』を設置し、貨車の減速を自動で行うことで連結手を労働災害から護り作業効率を向上する取り組みが成された。
とはいえ、大変設備費が嵩んだため結果的に日本では全国に行き渡る前に操車場方式そのものが終焉を迎えた。
一方で、海外では貨車の大型化が日本のそれより遥かに進み、貨車のブレーキを人力で操作しても充分な制動力が得られなくなった上に連結させる貨車毎に多数の人員を要する点が非効率的とされた為か、特に現在先進国とされる国々ではこのような危険な業務の廃止は比較的早く、前述のカーリターダーや、レール上に設置して車輪が載ると摩擦力を発揮して車両を止めるヘムシュー(制動靴)を設置する方式が主流となった。
とはいえ、連結器の確認やブレーキホースの接続などの為に実際に連結手が1両づつ見て回る必要があったのはどの操車場でも同じである。
効率上の問題
操車場で貨車の組み換えを行う方式は、多種多様な貨車をあらゆる場所へ向かわせるための最適解であったため、鉄道がネットワークを形成するとほぼ同時に登場した。
しかしながら、「貨車」ではなく「貨物」という観点で考えると非効率的であった。
操車場を経由する貨物輸送の問題について、操車場の処理能力そのものの問題については『貨物列車』の項が詳しいので本稿では割愛。
代わりに本稿では『実際に操車場を経由して貨物を輸送した場合の広域的な問題』について、貨車一両を行き先の駅を指定した上で貸し切った形で運転する『一般車扱貨物』で、「滋賀県信楽町で生産された信楽焼のタヌキを東京都港区の汐留駅に輸送する」という仮定で解説する。
注意
この解説は特段指定の年代、実際の列車とは関係の無い架空のものであり、本稿製作者が効果的な説明のために事実を元に独自に設定を作った部分を斜体、実在した事柄・規則や避けて通れない問題を太字とし、この操車場方式の様々な問題点を解説するために極力トラブルを増やしている。
貨車
貨車は営業最高速度75km/hの有蓋車(ワム)とする。
経路
- 産地から貨車に載せるまで
焼き物の名産地である滋賀県信楽町で生産された「信楽焼のタヌキ」は当初信楽線の信楽駅で積み込んだ上に草津線で直接東海道線方面に輸送する予定であったが、不幸にも草津線と琵琶湖方面への道路が不通となった為に、充分な梱包が為された上で自動車で関西本線の柘植駅(三重県伊賀市)に運ばれ、柘植駅で貨車に積み込まれた。(※1)
- 柘植駅~稲沢操車場
柘植駅で積み込む貨車は、関西本線亀山経由の稲沢操車場行きの貨物列車に連結される。
しかし、残念ながら当初連結する予定であった列車は利用量が少なかった為、運休となってしまい、翌日の同じダイヤの列車に連結された。(※2)
この列車は、途中「亀山操車場」と「四日市駅」で、紀勢本線と四日市港の各専用線からやってくる貨車を繋げるため、それぞれの駅や操車場でしばらく停車する。(※3)
指定の貨車を繋げたのち、「信楽焼のタヌキ」を載せた貨車は、中部地方から集まる貨車を東海道線の列車に連結させたり、或いは逆の作業を担っていた「稲沢操車場」に到着する。
が、ここでも間が悪く、稲沢操車場構内の入れ替え作業が遅れていたため、四日市駅を発車した時点では連結出来たはずの汐留行きの貨物列車は出発した後であった。
やや遅れて稲沢操車場に到着しても、東京方面に向かう列車に繋げれば終わり… と思いきや、これで終わらなかった…
東海道線は多種多様な貨物列車が走っていたもののすべての列車に連結できるわけではなく、実際には様々な制約があったためである。
- 稲沢操車場の憂鬱
「信楽焼きのタヌキを載せた貨車」が遅れて入場したあとちょうど良い時間になってやってきた「貨物列車"その1"」は、汐留駅行きで営業最高速度100km/hの高速貨物列車A。最高速度もさることながら、原則操車場で連結組み替え作業をせずに稲沢駅で3分停車し乗務員交代を済ませればそそくさと発車してしまう列車なので、当然この列車には連結出来ない。
その次にやってきた「貨物列車"その2"」は、確かに東海道線を東京方面に向かう列車ではあるが、あらかじめ出発地の梅田駅で東北地方が最終目的地の貨車で組成された列車で、関東地方は通過し次に編成の組み換えを行うのは福島県の郡山操車場。つまり途中で汐留行きの列車に連結できる新鶴見操車場などを経由するという条件でも無い限り連結出来ない。
その次にやってくる汐留行きの「貨物列車"その3"」は、営業最高速度85km/hの列車なので営業最高速度が75km/hの『信楽焼きのタヌキを載せた貨車』は連結出来ない。
その次の列車は、営業最高速度が75km/hの汐留駅行きという条件は満たしているが、生憎先約が定数いっぱいで連結出来ない。
………
連結する列車が指定されていない場合や、列車の遅れで不幸にも予定外の列車に連結することとなった場合は、1箇所の操車場でもこれだけの問題を生ずる可能性があった。
つまり、運が良く条件を満たす列車があればすぐに目的地に向かえるが、そうで無い場合は大垣方面からやってくる連結可能な条件の列車を待つなり、稲沢操車場で汐留駅行き(或いは汐留行きの列車に連結できる操車場を経由する)貨物列車が組成されるまで待つなりといった行程を踏むまで「信楽焼きのタヌキを載せた貨車」は稲沢操車場で待ち惚けを喰らう必要があるのである。
仮に、稲沢操車場を出発した後も運転速度が遅いため、遅れてきた寝台特急をやり過ごすために途中の駅で臨時停車といった事態もあり得るわけで、極めて非効率的な上に「輸送を依頼した荷主に対して荷物がいつ到着するか保証できない」という非常に不便な問題を抱えていた。
特にこの問題は、わが国の経済の発展とともに製造業や物流業の取扱量が大規模かつ生産量や納期の厳格化が進められ、生産・流通の自動化が促進されるにあたって、鉄道輸送が荷主に敬遠される大きな要因となった。
- 上記の問題のうち連結できる列車の制限については「それぞれの貨車を高速化できれば解決できるのでは?」という意見もあろうと思うが、この問題の解決方法として現在最も効率的な手段の一つとされているのが高速コンテナ車である。
国鉄による対策
無論、様々な形式・性能が入り混じった貨車をわざわざ1両ずつ分けて必要な列車に繋ぐという当時の実情に則した運用方法ではあったものの非効率極まりない運転方法に対して、国鉄当局もこの問題の解決には必死に取り組んでおり、予め貨車の行き先を途中で経由する駅に通告し最適な列車に連結できるように手配を行う制度を導入していたし、1970年代には操車場でも貨車をどの列車に連結できるかを予測した上で、人間による計算より遥かに処理速度が速い貨物列車専門のコンピューターシステム「YACS」を実用化させ、実際に武蔵野操車場や郡山操車場などの大規模な操車場に導入していた。
それらが導入されていない駅や操車場を経由する貨車でも、発駅から着駅まで連結する列車をすべて指定した「列車指定」とする貨車が存在したため、到着予定の確実性こそあったものの速達性は劣っていた。
しかしながら多くの操車場を経由するこの運転方法は、距離が長く経由する路線が多ければ多いほど到着時間の不確実性の問題は大きくなるので、長距離輸送に堪える大型トラックの増加や高速道路網の整備、荷役作業の効率化や運転速度の高速化が容易なコンテナ車の普及に伴って、操車場を幾つも経由する貨物列車は利用者が激減。コンテナ車以外の貨車を使った列車は、全て出発地で予め単一の行き先(或いは同一地方の行き先)に纏めて組成する直行貨物列車とする形で、操車場と操車場を経由する貨物列車は1984年に全廃された。
しかしながら、依然として国籍や積み荷・行き先が多種多様な貨車が行き交う海外では、まだまだ多くの操車場が存在する。全てリターダやヘムシューを使っており、処理速度の問題がないため今後も存置されるであろう。
その後
廃止された操車場の跡地は、新たに着発線荷役方式を採用したコンテナ輸送対応の貨物駅として再整備された地区(例:北九州貨物ターミナル)もあるが、その大半は国鉄の分割民営化に伴い余剰地として清算事業団へ引き渡され、各自治体や民間資本により再開発が行われた。
大多数の主要貨物駅・操車場は元々旧来の市街地の外郭部にあり、戦後高度経済成長期の市街地拡大でその内部に入っていた。まとまった面積が新たな市街地として使えるため再開発の物件としては好条件であった。
各地で総合病院等の医療施設やイオンを始めとするショッピングモールを核としたニュータウンとして新たな街づくりが行われ、その際に旅客用の新駅が設置されるケースも多い。
(吉川美南駅・さいたま新都心駅・東静岡駅・摩耶駅・西岡山駅・千早駅など)
また大規模イベント施設(さいたまスーパーアリーナ)や競技施設(鳥栖ベストアメニティスタジアム・マツダスタジアム)が建設された例もある。
私鉄
かつて貨物輸送を行っていた東武鉄道も国鉄への連絡やセメント貨物用として東京都墨田区内に小規模ながら操車場を所有しており、こちらは貨物廃止後に跡地の一部が隣接する旅客駅の拡張に使用された後に、東京スカイツリーの建設候補地となり、電波塔の完成と共に周辺が再整備されて現在に至っている。
注釈
- (※1):ダイヤが許す限りは、最短かつ効率的なルートで運転されていたが、仮に不通になれば迂回措置がとられた。操車場方式特有の問題として迂回措置が取られた場合は通常以上に極めて非効率的になった。一方で、コンテナに載せていた場合であれば、たとえ鉄道が不通となっても直近の駅でコンテナを下ろすことさえ出来れば、道路を迂回して運ぶことができる。
- (※2):貨物列車はストライキなどに関係なく、経営上の理由で利用率が極端に悪い列車は運休となることがあった。一方でいかに利用率が悪くても、沿線の道路事情が劣悪な路線の場合は社会的意義が大きく公共性があると判断されていかに貨物が少なくとも運休しない列車も存在した。本稿では運休させているが、沿線の道路事情の悪い関西本線の山岳区間では極力運休となることはなかったと思われる。
- (※3):当然増結すべき列車が遅れた場合は、その列車が到着するまで待つ必要があるため、遅れは拡大する。