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三島海雲

みしまかいうん

僧侶にして実業家。世界初の乳酸菌飲料工業化(カルピス)に成功。
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概要編集

浄土真宗本願寺派の僧侶にして実業家

モンゴルから帰国後、酸乳を日本に広めるためラクトー株式会社を創業。

1919年に発売された「カルピス」は世界初の工業化された乳酸菌飲料で、国民的飲料として定着した。


来歴編集

1878年7月2日、下萱野村(現在の箕面市)の浄土真宗本願寺派水稲山教学寺で住職の子として誕生。

1891年、得度する。

1893年、西本願寺文学寮(現在の龍谷大学)に入学。

1899年、文学寮を卒業。山口県開導教校(僧侶養成学校)に英語教師として赴任する。

1900年、教職を辞し、文学寮から学制更改された仏教大学(現在の龍谷大学。佛教大学ではない)に編入。

1902年、中国に渡り東文学社(北京市)で教師となる。

1903年、東文学社で知り合った土倉五郎と共に雑貨貿易商「日華洋行」を設立し、日本の雑貨等を販売。

1904年、日本陸軍から軍馬調達の指名を受けて内蒙古(現在の内モンゴル自治区)に入り、チンギス・ハーン末裔である鮑一族の元に滞在。体調を崩し瀕死の状態となるが、酸乳を飲み続けたところ健康を回復した。

1915年、辛亥革命を機に日本に帰る。酸乳、乳酸菌を日本に広めることを志す。

1917年、ラクトー株式会社を創業。発酵クリームや乳酸菌入りキャラメルなどを販売するが不振に終わった。

1919年、世界初の乳酸菌飲料の工業化に成功。「カルピス」として発売する。

1923年、関東大震災。渇水した地区に「カルピス」を配布した。ラクトー株式会社をカルピス製造株式会社に商号変更。

1949年、カルピス社が東京証券取引所上場

1974年12月28日、死去(96歳)。没後に正五位が追叙された。


関連タグ編集

実業家 僧侶 浄土真宗 モンゴル カルピス

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