概要
カルピス(CALPIS)は日本の飲料メーカー「カルピス」が製造し「アサヒ飲料」によって販売されている乳酸菌飲料の名称である。
乳酸菌飲料のはしりで、創業者が、モンゴルの酸乳をヒントに開発された。キャッチコピーは「初恋の味、カルピス」。
非常に濃度が高く、そのままで賞味される事はまず無い。水や牛乳で薄めて飲むか、シロップの代わりにかき氷にかけたりする。乳酸菌飲料とは言っても製造時に加熱濃縮しているので製品には乳酸菌は生きていない。代りに、常温でも変質しにくい。牛乳で割ると水割りよりは結構濃厚な味わいになるので試してみよう。
上述の経緯から、商品名はサンスクリット語で「熟酥」(発酵乳。実際は発酵バターやギーを指すと考えられる)を意味する「サルピス(सर्पिस्, sarpis)」に由来し、そこにカルシウムの「カル」を足し合わせたもの。なお、商品名決定に際しては童謡『赤とんぼ』で知られる作曲家の山田耕筰から語感のアドバイスを受けたという。
海外ではcow piss(カウ ピス=牛の尿)と言う英単語と発音が似ており印象が悪い為、「Calpico」の名で販売されている。なお、「カルピス」の名称は同社の登録商標である。
ロゴ
昔のトレードマークは、カルピスをストローで飲んでいる人をモチーフにしていた。
しかし、これが「黒人をカリカチュアライズしたものであり、差別的である」と日本人から苦情を受け変更された。現在は単にコップにストローが差してあるだけのイラストになっている。
略歴
浄土真宗本願寺派の僧侶・三島海雲(1878年7月2日~1974年12月28日)は商社「日華洋行」を設立し北東アジア各地で商売をしていた。
1904年、海雲は日本陸軍から軍馬調達の指名を受け内蒙古の鮑一族の元に滞在するが、体調を崩し瀕死の状態となる。奨められて酸乳を飲んだところ健康を回復した。その後、海雲は内蒙古で牧場経営をはじめる。
1915年、海雲は辛亥革命を機に日本に帰国。酸乳、乳酸菌を日本に広めるため製品開発に取り組む。
1917年、海雲がラクトー株式会社を設立。発酵クリームや乳酸菌入りキャラメルなどを販売するが失敗。
1919年、ラクトー株式会社が乳酸菌飲料の工業生産に世界で初めて成功。「カルピス」として発売。
1923年、ラクトー株式会社をカルピス製造株式会社に商号変更。
1948年、カルピス製造株式会社をカルピス食品工業株式会社に商号変更。
1990年、味の素と提携。
2007年、味の素の完全子会社となる。
2012年、味の素はカルピスの全株式をアサヒグループホールディングスに売却。
2016年、アサヒグループの事業再編が行われ、カルピスはアサヒ飲料と合併。国内飲料製造事業と乳製品事業はカルピスフーズサービスへ継承され、2代目カルピスとしてアサヒ飲料の機能子会社となった。
余談
- ねっとりとした白濁の液体である事から、しばしば18禁の世界ではミルクとともにある液体の比喩として用いられる。
- 飲んだ後に舌の奥等に白いカスが残りやすいが、原料のタンパク質成分であり害はない。
- 白に水色等の青系の水玉模様はときに『カルピス柄』と表現される事がある。
- 現在使用されているプラスチックボトルは分別の必要がない工夫がされているが、臭いが特徴的なため中の飲料が腐ったと思い捨ててしまう事例が発生している。しかしながらカルピスシリーズは『カルピスウォーター』や一部製品を除きその糖度の高さから常温でも長期保存できる飲料である。
- ガラス瓶の頃はビール瓶と同じサイズだった為か、稀に酒屋ではビール瓶に混じって回収されていた事もあったらしい。
- 事業再編前のカルピス株式会社は、「NUDE(ヌード)」という炭酸飲料も販売していた。シリーズ化もされていたが、他のカルピス商品とは異なりアサヒ飲料へは移管されずに販売を終了している。
- 『浦安鉄筋家族』の登場人物・鈴木フグオの好物としても知られており(作中ではガルピス)、カルピス好きが高じて原液のまま飲んだり、果ては原液をうがい薬や目薬、点鼻薬替わりに用いたりなどしている。勿論、ここを閲覧している皆様は決して真似をしないように。
関連タグ
姉ヶ崎寧々:彼女が着るワンピース水着にカルピスの水玉模様とそっくりなものがある。
ハッピーケイオス:好んでいる飲料ミルピコのモチーフがカルピス。