概要
1998年8月28日生まれ。妻はモデルの由布菜月。
茨城県水戸市出身。中学時代は鹿島アントラーズノルテに在籍。中学時代からトップ昇格を夢見ていたが、身長が170cm程度と体格が未熟だったことからユースには昇格できず、鹿島学園高校に進学した。高校卒業後、スポーツ推薦を利用する形で法政大学に進学し体育会サッカー部に入部。1年次から出場機会を得た。2年次には全日本大学サッカー選手権大会の優勝に貢献。争奪戦の末に鹿島アントラーズへの2021年シーズンからの加入が内定した。
2019年7月23日、法政大学のサッカー部を退部し、2021年に加入が内定していた鹿島アントラーズに前倒しで加入することが発表された。7月31日、第16節延期分の浦和レッズ戦で途中出場からプロデビューを果たした。8月10日、第22節の横浜F・マリノス戦で途中出場からプロ入り初ゴールを決めた。9月1日、第25節の清水エスパルス戦では初先発を飾ると2得点を決めて勝利に貢献した。
2020年7月18日、第5節の横浜F・マリノス戦で今季初先発をして2得点を決める活躍を見せた。11月29日、第30節の浦和レッズ戦では3得点を決めて勝利に貢献した[。
2022年7月1日、ベルギー1部サークル・ブルッヘへ完全移籍することが発表された。7月24日、開幕戦のKVCウェステルロー戦で先発してベルギーデビューを果たした[16]。8月27日、第6節のSVズルテ・ワレヘム戦で移籍後初ゴールを決めた。2023年2月4日、第24節のスタンダール・リエージュ戦では今季リーグ戦10得点目を決めた。
2023年8月3日、オランダ1部エールディヴィジ・フェイエノールトへの完全移籍が発表された。期間は2028年6月30日まで。9月3日、第4節のFCユトレヒト戦で移籍後初ゴールを決めた。同シーズンは、同じポジションに絶対的エースであるサンティアゴ・ヒメネスが君臨していたことで出場機会は限られていたが、シーズン最終盤にヒメネスが離脱したことでチャンスを得ると、3試合連続ゴールを記録、結果シーズン通して5ゴール2アシストを記録した。
日本代表
2019年5月24日、コパ・アメリカに臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表に初選出された。大学生がA代表選手に選ばれるのは、2010年に永井謙佑と山村和也が選ばれた以来の9年半ぶりとなった。6月18日、コパ・アメリカ初戦のチリ戦でスタメン出場し、代表デビューを果たした。大会では3試合に出場したものの、枠内にシュートが飛ばないなど精彩を欠き、日本代表の敗退後に集計されたデータでは暫定で大会中最も多くの5度の決定機を外していた。
7月に招集されたユニバーシアードサッカー日本代表では初戦のアルゼンチン戦で2得点を決める活躍。その後、日本は決勝まで順調に勝ち進み、ブラジル相手にハットトリックの活躍を見せて優勝に貢献した。12月にはEAFF E-1サッカー選手権2019に出場する日本代表に再度選出された。
2021年7月開催の東京オリンピック日本代表に選出。
2022年11月1日、カタールワールドカップに挑むメンバーに選出され、2戦目のコスタリカ戦に先発出場したが、前半のみの出場となった。
2023年6月15日、キリンチャレンジカップのエルサルバドル戦でPKを決め15試合目にして代表初ゴールを決めた。
2023年11月16日、2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選兼AFCアジアカップ2027 (予選)の ミャンマー戦で代表では自身初のハットトリックを達成した。
2024年1月1日、AFCアジアカップ2024のメンバーに選出された。同大会ではチーム最多の4ゴールを記録したが、チームはベスト8で敗れた
人物・エピソード
鹿島アントラーズへ前倒しで加入するために大学のサッカー部を退部したが、大学は2020年度に卒業している。
2022年2月9日、自身のSNSで、モデルの由布菜月と結婚したことを発表。
ジュピラー・プロリーグ(ベルギー)22/23シーズンにおいて40試合22得点の活躍を見せ、得点ランキング2位を記録。同リーグにおける日本人最多ゴール記録保持者。
大食いである。好きな食べ物はたこ焼きとオムライスであり、嫌いな食べ物はパクチーである。
上田は水を大量に飲むため、行きつけの飲食店では、ピッチャーを用意してくれる。
上田がフェイエノールトに移籍する時、小野伸二が歓迎のビデオに出演した。
妻の由布菜月はYouTubeチャンネルを運営しており、時折夫である上田が動画に出演することがある。