二十六年式拳銃とは主として大日本帝国陸軍にて使用されていた軍用拳銃である。
ナガンM1881を参考にした中折式の回転式拳銃で装弾数は6発であった。
大日本帝国陸軍の装備品としては極めて初期のものだが、長期に渡って使用され続け太平洋戦争終結まで使用されたものもあった。
概要
大日本帝国陸軍では、創設期よりアメリカS&W社製Model.3回転式拳銃を主力として使用されていた。
これらの銃は、当時としては比較的強力な弾薬を使用することが出来たが、その分日本人としては反動が強いために撃ち辛く、また大型で重いという問題があった。
また、騎兵科等からは「シングルアクションであるが故に片手での連射が難しい」という問題も報告された。
1880年には主力小銃として村田銃が開発され成功を収めると軍用拳銃も国産化の方針が定められた。
開発にあたっては、当初フランス製MAS 1873を参考にする事としていたが、製造にあたって高度な技術を要することや、シリンダーがフレームに固定されており排莢と再装填に手間が掛かる事から騎兵科より「中折式を継承してほしい」と上申があった事から中折式とされた。
最終的にメカニズムをナガンM1881を参考に従前のS&Wの中折式を足した形式の回転式拳銃をとなり、1896年(明治26年)二十六年式拳銃として陸軍に制式採用された。
機構
中折式で6連発の回転式拳銃である。
従前のS&W Model.3と打って変わって専ら馬上での扱いを重視した為かシングルアクション機構は省かれ、ダブルアクション専用である。また、シングルアクション機構が無いため撃鉄に指掛けが無い。
弾薬は同時に開発された二十六年式拳銃実包を使用する。
運用
主として騎兵科で運用された。
しかしながら、二十六年式拳銃が制式となった僅か6年後の1902年に南部式大型自動拳銃が開発され1906年の日露戦争にて使用された記録がある。
南部式大型自動拳銃は改良の後、1925年(大正14年)に十四年式拳銃として採用されており、二十六年式拳銃を代替した。
しかしながら、日露戦争や第一次世界大戦の戦訓から砲兵科や機関銃などの装備品の近代化が進められ、騎兵科と騎兵の装備する二十六年式拳銃は更新が遅れた。
二・二六事件においては鈴木貫太郎侍従長の襲撃に使用されたが、鈴木侍従長は一命を取りとめた。
別名・表記ゆれ
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