概要
戦前から第二次世界大戦を経て戦後も活動していた日本の政治家・官僚。
1891年12月12日生まれ。東京府東京市(後の東京都)日本橋区出身。東京開成中学、一高、東京帝国大学卒業後、農商務省官僚となる。
農林大臣・拓務大臣・弾劾裁判所の裁判長などの重役を歴任した。
農林大臣は近衛文麿内閣において初めて就任し、東條英機内閣でも引き続き務め、更に拓務大臣も兼務していた。
戦後はA級戦犯容疑者として逮捕されたが、その後釈放。横浜・巣鴨の監獄に収容されていた際は、賀屋興宣らと囲碁を楽しんだという。
公職追放の解除後は再び政治家として選挙に出馬し、参議院議員となって政界に復帰、岸信介内閣では法務大臣に就任し、岸内閣を支えた。
1971年に政界を引退した後に、皇學館大学と学校法人皇學館の理事長に就任した。1980年5月19日、腎不全のため死去した。