概要
伊藤幸雄の芸名で、1974年放送の円谷プロの空想特撮シリーズ「ウルトラマンレオ」に、ウルトラマンレオことおゝとりゲンの弟分で城南スポーツセンターに勤務する青年野村猛役に抜擢され、第40話でシルバーブルーメの犠牲になるまで準レギュラーとして出演した。
続く1975年には、東映のスーパー戦隊シリーズ第1作「秘密戦隊ゴレンジャー」のミドレンジャー/明日香健二役に抜擢され、ゴレンジャーのメンバーの中で最も若く坊やよばわりされる事もある心やさしい青年を好演した。
芸名を伊藤 武史に変更した後の1979年には、ゴレンジャーに続いてスーパー戦隊シリーズ第3作「バトルフィーバーJ」に、初代バトルコサック/白石謙作役で出演したが、放送中に結婚した事を公表していなかったところ、テレビ朝日の広報が伊藤に無断で、マスコミに情報をリークしてしまう。
テレ朝広報の不誠実かつ身勝手な行いにテレビ朝日への不信と怒りを募らせた伊藤は、プロデューサーやスタッフに降板を直訴。彼らもこれを認めざるを得ず、第33話にて壮絶な殉職を遂げる展開で降板する。
なお、白石謙作の殉職については、バラエティ番組で恣意的な編集がなされた結果、戦闘服をクリーニングに出したまま忘れて射殺されたと誤解されている事がある。
実際は、血の臭いを嫌う少女の元へ向かう際に、これまでの戦闘で返り血をいくつも浴び、「血の臭いがする」と拒絶された事から自身の戦闘服を着る事を拒み、その事を仲間から指摘された際、「クリーニングに出した」と嘘をついてごまかしたと言うのが真実である。
また、同様に白石謙作の最期のセリフである
「…かき氷食いてぇなぁ…体中がカッカするぜ…エゴスの野郎、今度会ったら承知しねぇぞ!…」
もまた、間抜けな最期のセリフ的な印象を与えるような恣意的な表現を加味されている事があるが、これは、謙作が短気なキャラであった事とロシア及びユーラシアを代表する戦士だったからのものである。
その後、芸名を伊藤幸雄に戻して、現代劇・メロドラマ・刑事ドラマ・時代劇に出した後に1988年に芸能界を引退した。引退後は、映像制作の仕事に携わっており、友人の森次晃嗣が得意のシャンソンのCDを出した際は、特典DVDの制作にかかわっている。