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加藤段蔵

かとうだんぞう

江戸時代の軍学書や仮名草紙に登場する忍者・幻術使い。「とび加藤(飛び加藤、鳶加藤)」の名でも知られる。
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概要編集

戦国時代の軍学書『甲陽軍鑑』に、以下の2人の人物に関する記述が載っている。


  • 永禄元年(1558年)頃、どんな堀や塀も8尺の棒または槍を使って飛び越してみせると豪語して武田信玄のもとに士官しに来た加藤という人物。後にどこかの隠密であった事が発覚し、処刑された。
  • 永禄2年(1559年)、上杉謙信の元で幻術を披露した幻術師。牛を丸呑みする幻術を披露した際に木の上から見ていた男に術を見破られたものの、幻術師は男の首を刎ねてしまう。最終的には幻術師を隠密だと見破った謙信に成敗された。

後に越後の槇島昭武により記された軍学書『北越軍談』においては両者は同一人物であるとの解釈のもと、以下のように述べられている。


  • 常陸出身の幻術師「鳶加藤」。風魔の風間次郎太郎を師として幻術を学んだ後、上州箕輪の長野業正のもとに仕える。加藤は業正に推挙されて上杉謙信に拝謁、幻術を披露したところ「山岸貞臣の家から長刀を盗んで参れ」と命じられる事に。これをあっさりと実行してきた加藤だったが、謙信はその腕の良さに危機感を覚え、加藤の身柄を山岸光祐に預ける事にした。これに危機感を覚えた加藤はからくり人形に芸をさせ囮とし、その隙に逃亡。後に甲府に現れた加藤は武田信玄のもとで仕官する。暫くして武田家秘伝の書物を盗み出した事が発覚すると、「自身の逃亡によって業正の立場が悪くなったので、信玄を暗殺して恩返しをしたかった」と白状。信玄は謙信と同じく加藤を恐れ、弘治3年(1557年)に打ち首した。

後の書物ではこの『北越軍談』における記述に乗っとった形で加藤の話が記されるようになった。現在知られる「加藤段蔵」の名は、速水春暁斎の読本『絵本甲越軍記』において使われたものが最初である。


戦国大戦編集

SEGAのアーケードゲームでは、上杉家所属と武田家所属するカードが1枚ずつ存在する。

  • 上杉家版

メイン画像がモデルになっており、レアリティSRの2コスト武力8統率1の騎馬で特技として、「忍」を持っている。

計略は士気3消費「早駆け」で効果時間中は超高速で移動が可能となり、忍のステルス能力を利用して一方的な奇襲をかけることが出来る。


  • 武田家版

戦国大戦色々

武田家に追加された2枚目の段蔵。コストもが0,5upし、2,5コスト武力9統率2の騎馬、特技「忍」と「疾駆」を持っている。

計略は士気5消費の「忍法暗殺剣」。内容は、武力3upと速度上昇、忍のステルス性能の強化、突撃した敵に毒状態付である。殲滅力には欠けるが、忍のステルス性能が敵に接触するギリギリの距離までは解除されないという点が強みで、段蔵を止めようにも位置が分からず、武力12の突撃と毒ダメージで各個撃破による一方的な試合展開を作り出すことが出来る。


からくりの君編集

「加当段蔵」表記で登場。

「幻術(めくらまし)の加当」「身軽な鳶加当」とも呼ばれた忍びの名手。

亡国の姫君文渡蘭菊が仇である狩又貞義への討ち入りの護衛を依頼に段蔵の家を訪ねるが、狩又の城から逃走中の下忍睚弥三郎により、段蔵はその凄腕を恐れられ仕官先の武田信玄により謀殺されたと教えられる。

しかし睚こそが名前を変え一介の下忍に身をやつした加当段蔵その人であった。亡き父への愛憎入り混じった感情を吐露した蘭菊に応えるように己の正体を明かし、幻術を用いた二人の連携により狩又貞義を討ち果たした。


関連タグ編集

忍者 幻術師 戦国大戦 からくりの君


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