概要
1856年(安政3年) 、現在の呉市に三宅清兵衛により屋号を地名にちなみ「河内屋」創業。
当初は味醂・焼酎・白酒を製造していたが、1902年(明治22年)に呉市が市制施行、翌1903年大日本帝国海軍呉海軍工廠が開設されることを受け、当時5軒しかなかった清酒醸造に着手する。
1916年(大正3年) 「千福」商標登録。
卸す前に海軍によって高温下での品質変化チェックが行われている。その方法は『赤道直下を何度も航海する練習艦に200日間以上酒を載せて品質が変わらないか』調べるもので、「呉鶴」は浅間や生駒、「千福」は出雲の航海に乗せられたが品質に変化はなく合格。これにより「千福」は全国の鎮守府に卸されることになり蔵は大きく発展した。
1928年(昭和3年) 「千福」ブランドへの統一が始まる。
1933年(昭和8年) 満州奉天市(現在の中国・瀋陽市)に「満州千福醸造」開業。ここでは合成酒や倍増酒醸造を手がけていた。
時期は不明だが、青島市に「青島千福醸造」も開業している。
1939年(昭和14年) 株式会社に改組、「株式会社三宅本店」設立。
一時は醸造量日本一になるが、1945年(昭和20年)、呉軍港空襲で全社屋焼失するも明治庫と大正庫の一部のみ焼失から免れた。こうの史代『この世界の片隅に』に登場する焼け野原となった呉にひときわ目立つ煙突はここのものである。(因みに2016年映画『この世界の片隅に』では三宅本店は制作に協力しており、その限定ラベルの千福も数量限定で販売した。)
終戦後、満州千福醸造はソビエト連邦に接収、三宅家の本邸がイギリス連邦占領軍に接収されるがなんとか経営を立て直していく。
1970年(昭和45年)、ダークダックスが歌う「千福一杯いかがです」のコマーシャルソング開始。この歌でCMの知名度もあり、日本各地に千福の愛飲者でつくる親睦団体「福の会」は各地に置いている程である。