概要
園田博之は、昭和61年に代議士になって以来、当選8回というベテラン議員。
園田自身は会社員を経験してから、父の秘書を経て政治家になっている。
父の後妻(義母)は日本の女性議員一期生の一人である園田天光光(旧姓松谷)。天光光が博之の実母から父を略奪した形で結婚した経緯もあり直の死後天光光と後援会を巻き込んだ骨肉の争いの形の選挙にもなったが、選挙後天光光が政治の一線から退いたこともあり和解している。
平成元年に石原慎太郎がつくり平沼赳夫などが所属した「黎明の会」に、園田も仲間として所属していた。
調整力や交渉力には定評があり、特にたちあがれ日本では党運営において手腕を発揮している。
また自民党を離籍した後も地元熊本県においては自民党と連携を続けている。
太陽の党結党および日本維新の会への合流に伴い移籍、さらに維新の会分裂に伴い次世代の党へ移籍した。2014年12月の衆議院選挙終了後は再び太陽の党に移籍し、太陽の党党首となった。
ただし、太陽の党と次世代の党は会派を組むため実質的にはあまり変わっておらず、太陽の党の後始末のために形式的な移籍であった。2015年5月に太陽の党を正式に解党させ再び次世代の党へ戻った。
2015年6月に同年秋をめどに古巣の自民党への復帰の意向を表明し同年10月2日に平沼赳夫とともに自民党への復帰が了承された。
次世代の党で唯一といってもいい鉄板の選挙強さをもった彼を失ったことで、同党の縮小には歯止めがかからない状態となる。
2018年11月11日、衆議院議員に在職のまま肺炎のため東京都内の病院で死去。享年77(76歳没)。
2014年に熊本市長に当選した大西一史は彼の親戚であり、彼に政治家になるよう勧め秘書として育て、市長出馬を後押しした。
アニメ監督の山崎埋は甥。