土肥洋一
どいよういち
中学1年からサッカーを始め、1992年、高校卒業後の日本サッカーリーグが内定していたが、足の骨折により契約が流れた。
それでも諦め切れず日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内企画「GENKI FC」(コーチはセルジオ越後)に参加、出演。
Jリーグクラブへのアピールを行い、ジャパンフットボールリーグ・日立製作所本社サッカー部(後の柏レイソル) と契約する。
正GKの地位を掴み、1996年にはアトランタ五輪バックアップメンバー選出や、JOMOカップ出場など活躍を見せたが、若手の台頭で出番を失い2000年には出場機会を求め、この年よりJ1に昇格したFC東京に完全移籍で加入。
FC東京でも大熊清監督の標榜する全員守備の要として、開幕からレギュラーポジションを維持。
2002年に原博実監督が就任してからもその信頼は揺るがず、2004年2nd第11節対広島戦で、146試合連続フルタイム出場というJリーグ新記録を達成。この記録は2006年第33節対浦和戦の不出場に至るまで、2000年開幕戦から延べ216試合連続フルタイム出場というJリーグ新記録を打ち立てた(この記録は2014年に鹿島の曽ヶ端準が更新。)
同年のナビスコカップ決勝では、退場者を出す不利な状況の中、浦和の猛攻に耐え、優勝に貢献すると共に自らもMVPを獲得。
2003年、6月に日本代表としてコンフェデレーションズカップに帯同、以後も川口能活、楢崎正剛に次ぐ第3GKの立場ながらメンバー入りを続け、2004年2月のキリンチャレンジカップ・マレーシア戦で国際Aマッチ初出場を果たした。
2006年ドイツワールドカップにも選出され、試合出場こそ無かったが最年長選手としてチームを盛り立てている。
2008年、福西崇史と共に、J1へ復帰した同じ東京のライバル・東京ヴェルディ1969へと完全移籍。
ここでも正GKの座を獲得し、リーグ戦全試合出場と奮闘したがチームは17位となりJ2降格。
クラブの経営悪化で一度は契約を結ばないと宣告されたが減俸で再契約、翌年も正GKの座を守る。
2011年5月、古巣FC東京との「東京ダービー」試合中に負傷交代。左アキレス腱断裂により全治6ヶ月と診断され離脱。
2012年7月15日、第24節鳥取戦で1年2ヶ月ぶりに復帰し、ポジションを奪取。至近距離でのシュートセーブの鋭さを見せ、健在ぶりを発揮していたが、この年限りで戦力外となり、シーズン終了後、契約満了により退団。
翌年1月、現役引退と東京Vの育成GKコーチ就任。
2014年9月から2016年までトップチームのGKコーチに就く。
2017年、東京ヴェルディの育成GKコーチに就任。シーズン終了後の11月に同コーチを契約満了で退任、2018年シーズンからレノファ山口FCトップチームGKコーチに就任することになった。