概要
斉の公子。本名は田文。
※孟嘗君は死後の諡なので本文では「田文」で統一する。
ひと言で言えば変わった食客マニア。
史記の作者・司馬遷が斉の国都だった薛(せつ)を訪れたとき、薛は乱暴者だらけだった。街の人へわけを聞くと「孟嘗君の招きで任侠が集まり、鶏鳴狗盗の類まで薛に移ってきた。その数は6万戸におよぶ」と回答が来た。
田文は父の跡を継ぎ薛の領主になった。秦の昭襄王からスカウトがあるが食客が止める。しかし斉王である湣王(とんおう)が行けと命令。秦へ向かう。田文と秦王の仲は良好だったが、田文が斉へ帰る時期が来ると、秦は田文を殺そうとする。
田文は軟禁されてしまう。困った田文は食客に知恵を借りる。田文は食客の作戦を借り、秦王の側室へ狐のコートを賄賂に贈ろうとするが、狐のコートは秦王にあげてしまっていた。そこで狗盗(どろぼう)という食客がコートを盗み、側室を懐柔し解放される。
田文は函谷関まで来たが、関所の門が開かない。関所は鶏の声が鳴らないと開かないしきたりが秦にはあった。そこで今度は鶏声の食客が鶏の鳴き真似をする。すると関の近くの鶏が一斉に鳴き、門が開く。田文は秦から脱出に成功する(故事成語の鶏鳴狗盗の由来。
田文は斉へ行く前に趙へ寄り道。街の人々は「田文ってチビやん。大したことないんだなあ」とささやいていたので田文は彼らを皆殺しにする。
田文は斉へ帰ると宰相の位に就き、魏と韓と三国同盟を形成。湣王は田文の活躍を疎み、宰相から解任させる。田文は穏やかな日々を過ごしていたが、ある時食客の馮驩から「兎は逃げるために穴を3つ作ります。しかしあなたにはこの薛しか逃げ道がありません。そのため私があなたの逃げ道を2つ作ってきましょう」と進言。
馮驩は❶魏で宰相の位を用意/恵王を訪ね「田文を宰相にすれば秦に反撃できるで」と説得❷馮驩は湣王へ「田文が魏に行く前に謝罪したら?」と説得。田文は馮驩のおかげで、斉の宰相へ復権する事ができた(狡兎三窟の由来)。
しかし宰相へ戻ってもは湣王は田文と反目。秦はチャンスとばかりに謀略を用いては湣王に彼を殺害させようとする。田文は魏へ亡命。斉へ怨みを持つ燕昭王と結託し斉へ侵攻。大将軍・楽毅が魏・趙・秦・韓・燕50万の合従軍を編成し、湣王を討伐。斉を滅亡寸前まで追い込む。しかし田単が現れ斉は一発逆転。この間田文は静観を貫く。新斉王となった襄王は各国と関係修復に努め、田文を三度宰相へ呼ぶ。田文は数年後病没する。襄王は彼を惜しみ、死後へ「孟嘗君」の諡を追号する。
達人伝では
3巻で登場。荘丹ら一行が会う頃には床についていた。無名は初めて会う孟嘗君に感極まる。孟嘗君は荘丹の祖父・荘子には大変世話になったと語る。聞けば荘子が「もう少しバカを雇え」とアドバイスしたことで、孟嘗君は鶏鳴狗盗にて変な食客を用いて危機を脱出できた。再び再会したときに孟嘗君は荘子のスカウトを試みるが、断られてしまう。
事切れる直前、荘丹から「人は生まれるときに生まれ、去るべきときに去る」と諭される。荘子の胡蝶の夢の説話が元になっている。
創作の孟嘗君
- 宮城谷昌光『孟嘗君』
- 妖怪三国志
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参考
- はじめての三国志