戦国四君の一人。
食客マニアで、三千人の食客がいたとされる。
概要
魏の昭王の子、安釐王(あんきおう)の弟。
ある時、兄である王と囲碁を打っている時、国境で狼煙が上がる。驚く王だが信陵君は「趙王が狩りをしているだけです。問題ないです」と驚く様子を見せなかった。王は自身ですら知らない情報を知ってる弟を脅威に感じ、王は政治から弟を遠ざける。
食客三千人を抱えたが腰の低い人物だった。
汚い身なりだが賢いと噂される侯嬴を引き入れるために辛抱強く粘り、酒宴に来なくても身なりが汚くても無礼な態度を取っても怒らず快く迎え入れる。無礼な態度は侯嬴の策で、あえて侯嬴が汚れ役になることで信陵君の評判を上げた。また侯嬴の勧めもあり彼の友人である屠殺業の朱亥にも付け届けをしていたが無愛想な朱亥は特に礼を言うこともしなかったが、それでも信陵君は度々彼の元を訪れた。
紀元前258年、秦は趙の国都・邯鄲を包囲する。この際、安釐王は晋鄙(しんぴ)将軍に軍を預けて派兵するが、秦から「趙を助けたら次は魏を潰す」と脅され軍はそのままに。趙の平原君はブチ切れ、信陵君に「貴方の姉は我が王の妃だぞ、姉が心配じゃないのか。そんな意気地無しでよく天下の名士みたいな顔してられるな」と何度も手紙を送り信陵君を困らせる。困り果てた信陵君は食客の中から義勇軍300を結成。単独で趙に向かう。しかし侯嬴は見送りしなかった。信陵君は侯嬴に訳を聞きに行くと「貴方は自分に酔ってますな。300じゃ犬死にするだけです」と告げる。信陵君は策を聞くと「まず妃を利用して割符を盗み、それで偽の命令を使い晋鄙を動かしてください」と策を授け、朱亥に跡を託す。朱亥は信陵君に対する今までの非礼を詫び信陵君に同行する。侯嬴は彼らを見送った後、自刎する(国法を曲げた事を恥じての自決だとされる)。
侯嬴から策を貰った信陵君は策の通りに寵妃(寵愛を受けた王妃)に多額の貢物をして割符を盗む。朱亥を伴い晋鄙の元へ行く。しかし晋鄙は訝しみ、伝令を立てて王に確認に行くと言ったので朱亥が金槌で晋鄙を撲殺。亡骸を葬り信陵君は晋鄙の軍を編成。親子で従軍してる者は親を帰還させ、兄弟で従軍してる者は兄を帰還、一人っ子の者も親孝行の為に帰還させた(戦に勝っても魏王が国に入れてくれなかったケースを考えての策)。
軍に対し信陵君は「無法者の犬畜生に負けるな!」と鼓舞。突然来た魏軍にたじろいだ秦。更に楚の春申君まで来襲し3国に攻められる。勝てなくなった秦は撤退。果たして、信陵君は包囲戦に勝つことができた。こうして信陵君の名は全土で有名になる。
紀元前246年、魏は毎年の様に秦から攻められるようになった。王は信陵君に帰還を命じる。最初は疑った信陵君を食客は諌めやっと帰還。兄弟感動の再会。信陵君が戻ったのを聞いた各国は合従軍を派遣。信陵君はこれを率いて蒙驁を撃破し函谷関まで撃退。劇的な勝利を収めるが再び王に警戒される。そして秦の怨みを買い彼らの策略でスパイが流言。ついに再び政治から外され、酒と女浸りの日々を送り失意の中亡くなる。
前漢の高祖劉邦が特に敬愛していた人物でもあり、劉邦の配下になった張耳も若い時は食客だった。
創作の信陵君
6巻で登場。
一見だらしないおっさんキャラで一度眠るとなかなか起きないが能力や胆力は非常に高い。荘丹ら「丹の三侠」を周の総大将に任命させる手紙を書くが、信陵君は「いくら無能でも奴らを登用しないだろう」とタカをくくっていた。だが「孟嘗君が策を授けた」という一文のせいで3人は総大将になってしまう。しかし、その後は邯鄲救援戦や函谷関攻めで活躍するも最後は秦王政の側近である李斯の策略で安釐王に疎まれ史実通りにフェードアウトする。若い時の項燕・李牧・張耳・劉邦・盧綰らと出会い共に戦っている。
呉慶が食客頭として仕えていた人物として名前のみ登場。