生没年 1705(宝永2)年~1730(享保15)年
官位 従三位 左近衛権中将・参議
経歴
1711(正徳元)年に大伯父で水戸徳川家3代当主・徳川綱條の養子となる。
1718(享保3)年に綱條が亡くなり跡を継ぐ。倹約に努めて財政再建を図ったが、早死にした。
跡は綱條の孫で正室の美代姫との間に生まれた次男の鶴千代(宗翰)が3歳で継いだ。
逸話
生母を讃岐から引き取り、江戸藩邸内に新しい御殿を立てて住まわせていたが、その女中の一人に宗堯が手を付け、子(松平頼順)を産ませた。その後正室の美代姫が鶴千代を産んだが、その時に新御殿から鶴千代宛に饅頭が贈られたが、その饅頭を宗堯が口にしたところ数日で急死したという風聞がある。