概要
秋田経済法科大学附属高校では1年夏からベンチ入りし、3年時の2000年にはセンバツに出場。
高校卒業後は父親と同じくJR東日本に入社し、東北硬式野球部に所属。3年目から登板機会を増やし日本選手権東北二次予選では最優秀選手賞を受賞した。2004年からチームのエースとして活躍。
2008年度プロ野球ドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから5位で指名され入団。26歳でプロ入りという遅咲きのプロ野球選手である。
ルーキーイヤーである2009年、ゲーム終盤でブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩の継投で逃げ切る勝利の方程式「SBM」を確立。最優秀中継ぎ投手と新人王のタイトルを獲得した。
2011年は先発投手へと転向し2桁勝利をあげ連覇に貢献、2012年は先発エースと君臨し最多勝(17勝)と沢村賞を獲得。以降2016年まで5年連続で開幕投手を務めた。
しかしその2016年からは安定した成績を残せず2軍生活が長くなった。2018年シーズン終了後退団したが、他球団からのオファーが無く現役を引退を決断。
現役引退後の現在は、野球解説者やラジオの冠番組の司会をはじめとしたフリーダムな活動を行っている。
人物
王貞治球団会長曰く、「彼(攝津)はメジャーで即通用するピッチングをしている」と彼のプレースタイルを賞賛していた。
基本的に無口であり、勝利のヒーローインタビューでもアナウンサーから問われたこと以外を自分から話し出すことはほとんどない。登板時は、抑えても打たれても表情を変えることはない。
千葉ロッテマリーンズなどでプレーした今江敏晃は「攝津さんってコントロールムチャクチャいいんですよ。テンポもいいしテークバックが極端に小さいからタイミングが取りづらい」と話し、同僚であるブライアン・ファルケンボーグや、読売ジャイアンツでプレーしたデニス・ホールトンからも攝津の精密な制球力を高評価していた。
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