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概要編集

別名新免無二。生没年不詳。

初めてその名が歴史に出たのは宮本武蔵の養子・宮本伊織が記した『小倉碑文』である。同碑文においては「武蔵の父・新免無二斎は十手術の達人である」と刻まれており、後に武蔵と鎬を削る吉岡流道場の先代吉岡憲法ライバル関係に当たり、征夷大将軍足利義昭御前試合において憲法を破ったとされる。


そのため無二は武蔵の実父であるというのが現在の定説であるが、『二天記』等の記載においては血縁の無い養子(にしても同じ新免家だか平田家だかの末裔であったことに変わりはあるまい)とされている。


黒田官兵衛に仕えていたらしく、昔は吉川英治小説などを皮切りに「武蔵は関ヶ原の戦いにおいて西軍明石全登の軍にいたが、敗北したため徳川方から追われる身となった」などとよく言われていたが、現在では無二が黒田方=東軍に属していたことはほぼ確定となっており、武蔵も黒田方に付いていたというのが定説となっている。


基本的に武蔵とは不仲であったとされているが、よく語られる「武蔵に幼い頃から虐待を行い、武蔵から楊子を削っているのをバカにされただけで短刀を投げ付けた」などという話は後世の創作である。

後に武蔵が使えることとなる細川家の家臣・沼田家が記した『沼田家記』(寛文12年=1672年著)においては、巌流島の戦いのあと巌流一門から追われる身となった武蔵を豊後に匿ったとされている。


創作に関して編集

ピンで出てくることはまずありえず、ほぼ全ての作品において武蔵からは徹底的に嫌われている。また大体の作品においては消息すら明かされていない事が一般的であり、既に過去の人扱いされていることも…。


バガボンド編集

メイン画像のヒゲ男。宮本武蔵の肖像画として伝わるあの姿がモチーフ。御前試合の後、疑心暗鬼に陥り武蔵にまで訝しみの念を生じるようになり、行方をくらます。度々武蔵の回想に現れる。柳生石舟斎と比較し、武蔵は無二斎を「天下無双という言葉にとらわれた、ちっぽけな男」と悟るようになった。


Fate/GrandOrder編集

ゲーム内では武蔵の発言内にのみ登場。

同作の武蔵は女性であったことから生まれた事すら認めたくなかった程に嫌っており、虐待された(書籍マテリアルによると「『女子であり、そして天眼を持つ故に』虐待され、憎まれた」とある)。そういうこともあってか、武蔵は名前を挙げられただけで嫌悪感を露にしているほど嫌っている一方で、その類稀なる剣技に関しては「無二の剣」「究極の一」と評価し、それを超える「零の剣」を体得することが彼女の生涯の悲願になっているなど、ただ嫌悪しているというより、反骨心を抱いている部分もあると言える。


なお、本作の武蔵の性質上、ここで語られる無二斎もまた汎人類史の彼ではないことになる。また、上述のマテリアルによると「女子であるだけなら剣士にする必要がないので捨てるのみ、天眼を持つだけなら過ぎた才能と笑って殺すのみ、だっただろう」と続くため、どう転んでも二人の関係が良好になることはなかったと思われる(史実の不仲説通りと言えばその通りではあるが)。

本作における武蔵や天眼の詳細設定に関してはこちらの記事を参照。


衛府の七忍編集

⋯「我が狂える父」と武蔵に呼ばれていた。十手を武器に使う。


テンカイチ編集

⋯上記の作品とは違い、親バカな無二斎が見られる。


関連項目編集

武士 武芸者 達人 剣聖


赤松氏:先祖

村上源氏:さらに先祖

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宮本武蔵 みやもとむさし

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