プロフィール
概要
1969年に大相撲の宮城野部屋に入門し、木村山の四股名で同年7月場所で初土俵を踏むも、すぐに廃業し、日本プロレスに入門。
鹿児島県喜界島中学校グラウンドでの佐藤昭雄戦でプロレスラーとしてデビュー。
坂口征二と共に新日本プロレスへ移籍した後は、海外にて、パクチューというリングネームでアメリカやメキシコ、ドイツといった様々な国で活動しており、ミスター・イトー、ロディ・パイパーらと組みNWAアメリカス・タッグ王座を獲得したり、個人としてはNWA世界ライトヘビー級王座なども獲得している。
帰国後は藤波辰爾とタッグを組んだり、敵対関係になったりとライバル関係でありつつ、数々のタイトルを争う。
付き人であった武藤敬司からは「怒らない人」と証言されるなど、素顔は温厚な人柄で知られている。
本人自身が控えめな性格もあって、引き立て役、やられ役が多いが、レスリングの技術は高い。
相手の魅力を引き出す事に長けており、名ジョバーとして名高い選手である。
主な得意技
- 稲妻レッグラリアット
- パワーボム
- バックドロップ
- ラリアット
- 雪崩式ブレーンバスター
- トライアングルスコーピオン
実業家、政治家としての活動
寿司屋、携帯電話の販売代理店、リサイクルショップなど実業家としても活躍。
食事制限なし、キツイ運動は逆効果をモットーにした独自の稲妻ダイエット法なども展開した。
2011年には、東京都品川区議会議員選挙に出馬し初当選した。
以後もスポーツに関する政治的な取り組みや、青少年問題に関わる評議員会の委員長を歴任している。
関連項目
間寛平:顔が似ていることで有名で、観客から「寛平コール」が起こったり、対戦相手などからそのことでイジられることも多かった。