概要
本名・沢庵宗彭(たくあん そうほう)。
天正元年12月1日(1573年12月24日) - 正保2年12月11日(1646年1月27日)。
当意即妙な受け答えと、禅の教えを分かりやすい解釈で説くなど親しみやすい人物であったらしい。
また、武芸や文化にも流通した人物であり、多くの諸大名から慕われていたとされる。
天日干しの大根を漬けこんだ食べ物「たくあん漬け」の考案者とされているが、一説では彼が関西で知ったこの漬け物のレシピを江戸で広め、「たくわえ漬け」という当時の呼称を徳川家光が「たくあん漬け」と洒落たものが定着したとも言われている。
ちなみに、フィクション作品において剣豪・宮本武蔵との師弟関係のような描写で結び付けられることが多いが、これは吉川英治の小説作品による影響であり、実際に彼が武蔵と面識があったという記録はない。
ただ、武芸に通じていたのは事実であるらしく、旧友である柳生宗矩の求めで剣禅一如の境地を説いた『不動智神妙録』を記し、「武術(実践術)」から「武道(心身の鍛錬)」への流れを開いたとされる。
紫衣事件の際、朝廷の側に立ち家光に諫言を行ったため出羽へ流刑となったが、徳川秀忠死去に伴い罪を許される。家光と和解し、紫衣事件以降厳格化していた寺法旧復の達成を果たした。
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柳生宗矩:ヘビースモーカーだった宗矩に、沢庵が「煙管を遠ざけろ」(禁煙しろ、の意)と忠告したところ、宗矩は超特大の煙管で器用に煙草を吸って見せ、「遠ざけたぞ」と言い放った、という逸話がある。