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浜田vs松本対決シリーズ

はまだたいまつもとたいけつしりーず

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での長期企画の一つであり、対決に負けたダウンタウンのどちらかがめちゃくちゃな罰ゲームを受ける羽目になる。
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概要編集

かつて年に1 - 2度の程度で行われていた恒例企画。松本人志浜田雅功日本シリーズ紅白歌合戦の勝敗予想、スポーツ、ゲームなどで対決(1998年のゴルフ対決からは山崎方正ココリコも参加している)、敗者は厳しい罰ゲームを受ける。罰ゲームはゴールデンで特番を組んだり、通常枠で3週前後に渡って放送される。


2003年からの罰は今では大晦日恒例の笑ってはいけないが始まった(詳細は「笑ってはいけないシリーズ」を参照)。 2007年からは「病院24時」から全員参加となったため、罰ゲームではなくなり。2006年の「タライアンルーレット」以降、対決は行われていなかった。


だが、2023年3月12日放送回で「チョロQアンルーレット」と題して約17年ぶりに対決&罰ゲームが復活することとなった。ちなみに当初は3月5日に放送される予定だったが、笑福亭笑瓶の追悼特別番組に伴い1週間延期になった。


過去の対決&罰ゲーム編集

参加者については

🟥は松本

🟦は浜田

🟩は方正

🟨は遠藤

🟪は田中

を表す。


1995年までは浜田と松本との個人戦で1998年から2003年までは方正、遠藤、田中も参戦し、浜田、松本とのいずれかのチーム戦vs個人戦となり、2004年以降はチーム戦が廃止されダウンタウンのどちらかが負けるまで勝負が続く全員個人戦となった。


  • ガララニョロロでズームイン!!(1990年正月)🟥

ふとしたトークの流れから始まった1989年紅白勝敗予想対決(1990年1月16日放送)に負けた松本に対する記念すべき1回目の罰ゲーム。当時『夢で逢えたら』(フジテレビ)のシチュエーションコントに登場していた謎の警官キャラ「ガララニョロロ」に扮し、局の垣根を越える形で『ズームイン!!朝!』のオープニングに出演。マイスタジオ前で踊る松本を尻目に当時司会の福留功男に「朝から変な人が来てるようですね」と苦笑交じりにあしらわれた。


  • SM亀甲縛りアルタ画面で番組宣伝(1990年春)🟥

松本が「俺はしりとりをすべて「す」で返すことができる!」と豪語して始めたしりとり「す」で返す対決(1990年4月24日放送のトークにて)に負けた松本に対する罰ゲーム。SMプレイの一環である亀甲縛りをさせられ、スタジオアルタの大画面アルタビジョンで番組宣伝を行った。「観てね」と台詞を言った後、松本は「観るか!こんな番組…」と呟いた。罰ゲームの模様は5月8日放送。


  • 浜ちゃん決死のスカイダイビング!!(1990年夏)🟦

1990年プロ野球オールスター勝敗予想対決(1990年7月31日放送)に負けた浜田に対する初の罰ゲーム。着地後には高所恐怖症の浜田が恐怖と感動の涙を浮かべるなど、番組史に残る感動の罰ゲームとなった。罰ゲームの模様は8月7日放送。


  • 罰ゲームさんいらっしゃ〜い!!(1990年年末)🟥

ゴルフ対決(1990年11月20日・27日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。12月6日に生放送された系列準キー局のよみうりテレビ制作の全日本有線放送大賞(現在のベストヒット歌謡祭)の会場を訪ね、桂三枝(現・六代桂文枝)の楽屋に三枝の扮装をして潜入し、何も知らずに入ってきた三枝に「いらっしゃ〜い」を披露した。三枝は松本の扮装に呆れ笑いするしかなかった。罰ゲームの模様は1990年12月25日放送。名前の元ネタは「新婚さんいらっしゃい!」から。


  • 冬の湘南赤フンドシで寒中水泳!!(1990年年末)🟥🟩

野球対決(1991年2月12日放送)に負けた松本率いるDOWN'Sに対する罰ゲーム。DOWN'Sには当時前説を担当していた山崎もいた。神奈川県鎌倉市腰越海岸でロケが行われ、どんよりとした曇り空の下、寒中水泳を決行。DOWN'Sの面々はやけになって大声で海へ走りこんだが、あまりの寒さに大声は絶叫へ変わった。海岸へ上がろうとする松本だが浜田がドSのごとく、棍棒を振り回して海へと追いやっていた。松本は「体が痛いねん!ピリピリすんねん!!」と弱音を吐いて浜田にすがるが、結局海へと突き出されていた(そのやり取りの後ろで山崎がこっそり逃げ出そうとしていたが、ヘイポーに海へと付き返されていた)。一方スタッフはそんな松本の後方ではしゃぎ合い、水をかけ合っていた。罰ゲームの模様は1991年2月19日放送。ちなみ今回が方正の初の罰ゲーム参加でもある。


  • ハゲづら恐怖のジェットコースター(1991年夏)🟥

視聴者参加型の500人対500人ドッジボール対決(1991年5月28日放送)に負けた松本チームに対する罰ゲーム(ただし、後に振り返られる時は松本のみが受けた事になっている事が多い)。ハゲヅラをかぶり、よみうりランドのジェットコースター「バンデット」に乗車させられた。終わった直後に松本は「おいコラー!一番怖くないやつ乗せるって言うたやんけ!めちゃめちゃ怖いやないか!!」と激怒。罰ゲームの模様は6月4日放送。


  • 松ちゃんカラーバーでTVジャック!!(1992年正月)🟥

1991年紅白勝敗予想対決(1991年12月22日放送のトークにて・12月29日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。日本テレビ放送開始直後の5時25分、松本が顔を塗り、カラーバーに扮装した模様が麹町分室(当時は本社)のマイスタジオから5分間生放送された。最初は律儀に「ピ~~~」と声でテストトーンを模してカラーバーに成りきるも、途中心が折れかかったのか「これ、生(放送)でせなあかんか?」と諦めていた。さらに顔のアップバージョン(画用紙にカラーバーを描き、顔だけ出ているというもの)をやったが、時間が余っていたため、タバコを吸いながら新聞(生放送当日付の読売新聞)を読みだす。その際、松本は最後に入る師匠のように振る舞い、「2分前」の告知がされてからもう1度カラーバーになりきった。松本は自著・『松本坊主』の中で、「フジテレビ全盛だった当時にこの罰ゲームをきっかけに日本テレビの事がすごく好きになった」「放送開始という局の顔とも言えるシーンを芸人にやらせると言う日本テレビの器の大きさに感心した」と述べている。松本は放送の最後に「このあとは『早見優のアメリカンキッズ』です、よろしくね~」と後番組を告知し、放送終了後は睨むような顔で浜田に対して「浜田しばいたろか!」と脅しのメッセージを送って終了。罰ゲームの模様は1月19日放送。


  • アシカショーで人気者になろう!!(1992年夏)🟥

ラグビー対決(1992年5月24日・31日・6月7日放送)で負けた松本に対する罰ゲーム。アシカの着ぐるみを着て、水族館で本物のアシカと共演した。飼育員に扮した浜田にボールをトスされるが、全く上が見えない構造の着ぐるみのせいで、松本は全くトスを返すことが出来なかった。「俺には見えてへんねん。投げられたって知らんやんけ!」と逆ギレをかますと、浜田に水槽へ落とされそうになった。松本は「それは…ホンマご主人…死ぬから…」などと本気で怖がっていた。罰ゲームの模様は6月21日放送。


  • 局タイトルのハトになってクルックー!!(1993年正月)🟥

1992年紅白勝敗予想対決(1992年12月20日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。日本テレビの放送開始ジャンクション・『鳩の休日』直後の5時29分より1分間、松本が『鳩の休日』の鳩になりきり、マイスタジオに設置された背景画セットの前で、即興の詞(♪俺は~俺は~、バカなのか~アホなのか~) をつけて歌いながら演じる様子が生放送された。本物の『鳩の休日』は、この企画のために通常より1分早く放送された。松本は上述のカラーバー企画同様、放送の最後に「このあとは『早見優のアメリカンキッズ』で~す、見てね~」と後番組を告知した。罰ゲームの模様は1月17日放送。なお、この罰ゲームは該当作を作曲した深井史郎の遺族がたまたま視聴していたらしく、後日日本テレビに抗議したという逸話がある。


  • 浜ちゃんフランスへエビアンを汲みに行く!(1993年夏)🟦

走り高跳び対決(1993年7月11日放送)に負けた浜田に対する実に3年ぶり2回目の罰ゲーム。楽屋で弁当を喉に詰まらせた松本が浜田に「エビアン汲んできて」と言い、浜田はスイス・フランスへ行くはめに。現地では菅プロデューサーの引率によってロープウェイでモンブランの山を登ったが、山頂にはエビアン水が無いと判明。山を下った後、過酷な山道を歩き源泉の滝まで行って水を汲んだが、エビアンという町の水道から湧き出る水をエビアンと呼ぶと通訳から教えられ、「じゃあこの水何?」と訊いたところ、「ただの滝の水」とのこと。浜田は菅を責めるが、「まあ…、罰ゲームなんだから…!!」と開き直る菅の首を絞めた。結局は町で水を汲み持ち帰った。松本は50時間近く弁当を飲み込むことができず、苦しみ続けたが、浜田が帰国して楽屋に戻った瞬間に治った上、浜田が汲んできた水を飲み「たいしたことない」と一言。それに対して浜田は「次の対決いつやるか?」と宣戦布告した。罰ゲームの模様は7月25日放送。


  • 早朝親子寄席(1994年冬)🟥

1993年紅白勝敗予想対決に負けた松本に対する罰ゲーム。母・秋子と親子漫才をやった。カラーバー・ハトの時と同様にマイスタジオから早朝4:57 - 5:00の3分間生放送(前の2回は『鳩の休日』の後に開始していたが、この時期は編成上の都合で『鳩の休日』そのものが流れなくなり、カラーバーから直接朝一番の番組が開始していた。)されたが時間が足らず、ネタの途中で『早見優のアメリカンキッズ』に画面が切り替わった。1年前と同様、この時も浜田に電話。「親子の生き様見とけ!!」の捨て台詞を残した。罰ゲームの模様は2月6日放送。



  • 浜ちゃんニューヨークにシャーペン取りに行く!!(1995年春)🟦

1994年紅白歌合戦勝敗予想対決に負けた浜田に対する罰ゲーム。愛用のシャープペンを坂本龍一に貸したままだったことに気づいた松本からの指示で、シャープペンを取りにニューヨークの坂本龍一宅まで行くというもの。道中、菅の妨害を受けつつ坂本宅に到着するも、玄関のドアをチェーンロックをかけた状態で僅かに開けたその隙間より坂本からシャーペンを投げ渡されるというけんもほろろな扱いを受ける。「日本では結構持ち上げられるのに、こっち来たらこんなだね」と菅に言われた。帰国後、キャップの中にある消しゴムがなかったため松本の「取りに行ってくるか。」の一言で再度行く事に。結局、東京 - ニューヨークを2往復して疲れて戻ってきた浜田が松本に消しゴムを渡して罰ゲーム完遂、と思いきや、たまたま置いてあったエビアンを飲んだため松本が「俺にもちょうだい」と言ってきたので浜田がエビアンを渡そうとすると松本は「いや、それじゃなくて。エビアン汲んできて」と最後にボケる。罰ゲームの模様は1995年4月2日にゴールデンタイムの2時間特番の中で放送。ちなみに、紅白予想で浜田が負けたのは初。


  • 松本のおかんとタイタニック(1998年夏)🟦

ゴルフ対決(1998年5月24日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。ハリウッドに行き、松本の母・秋子と『タイタニック』の一場面を演じた。罰ゲームの模様は8月23日放送。相方と母親のラブシーンというあまりにもきつ過ぎる映像に松本は始まった瞬間に「これはアカンで!!これはキツいで!うわぁ~アカンアカン!!」と絶叫し、どちらの罰ゲームなのか判らない状態に。終にはキスシーンまであった。一方、松本の父・譲一氏はこの企画を見て若干本気で嫉妬し機嫌を損ねていたらしい。なお、撮影は映画で使われたセットではなくロサンゼルスにある別の豪華客船(「クイーン・メリー号」)で行われた。これは「実際に映画の撮影で使われたタイタニックのセットは撮影終了後に解体したので、既に無い」と20世紀フォックスの担当者から言われたため。


罰ゲームを見た直後のフリートークでは浜田が秋子は「撮影前はかなりのノリノリだった」というが、撮影が終わった後の夕食では「食べてるか食べていないか分からないほど疲れ切っており、終始下を向いて不機嫌だった」と裏話を明かした。また、父はその横で「紹興酒を飲みながらゲラゲラ笑いまくっていた」という。松本は父が撮影に同行したのを知らなかったようで、その話を聞いた途端に「おとんも(一緒に)行ってたんかい!?」とびっくりしていた。この罰ゲーム放送回の翌週の放送では、松本と浜田が秋子が現地で購入した全く同じイラストのTシャツを着てフリートークを行った。


  • 24時間浜田雅功営業中(1999年春)🟦

ゴルフ対決(1998年10月18日放送)に再び負けた浜田に対する罰ゲーム。1999年4月19日に当時の日本テレビのスポットCMだった「日テレ営業中」を毎回コスチュームを変えながら全部で32回、24時間生放送で行った(放送は関東地方のみ、マイスタの中や外の歩道、Vスタジオなどで行った。)コスチュームの内容としては、SM嬢・バレリーナ・タモリ・篠原ともえなど)。『ジパングあさ6』や『ズームイン!!朝!』、『おもいッきりテレビ』などにも生出演。『おもいッきりテレビ』では『がきデカ』の扮装で出演したが、スタジオ内は終始静かでみのもんたが大笑いしてその場をフォローした。コスチュームの内容は全て松本がFAXで指示。1999年4月25日・5月2日と2週に渡って放送した。罰ゲーム執行前、松本は浜田に電話をかけ「『がんばんびー』と言え!」と指令。


ちなみに罰ゲームに当たっては大規模な記者会見も催され、桜田和之CPの「これ社運がかかってます!浜田君には是非頑張って、日本国民を感動させてもらいたい!!」との激励に浜田は「なら止めたらええがな!!」と激怒。また会見の場で浜田は「ゴルフで負けたって言うてもね、あんな(松本チームは4人全員打って、初めて1打、グリーンのみ1打ずつ)ルールどうですか!?皆さん!!」と対決をした際、明らかに自身に不利であったルールに対しても激怒していた。


なお、浜田は取材に来た本物の記者達をエキストラだと思っていたようで松本に「ちゃんとした社会人たちです」とつっこまれた。


山崎が松本の勝負どころで「これはもう、ダウンタウン対決ですよ!」と励ますが、松本は「ダウンタウン対決って…ダウンタウン対決で勝てへんからこんなルールになってるんちゃうん?」と弱音を吐いた。



100メートル走対決(1999年10月17日放送)に負けた浜田チーム(浜田・山崎・ココリコ)に対する罰ゲーム。東京・品川区にある日産スポーツプラザ(現・コナミスポーツクラブ本店)でロケが行われた。なお、今回がココリコの罰ゲーム初参加である。


  • ひとりぼっちの廃旅館一泊二日の旅(2001年夏)🟥 指揮役🟦🟩🟨🟪

浜田チームのリベンジを懸けて行われた水泳対決(2001年2月11日放送)に負けた松本に対する21世紀最初の罰ゲーム。廃旅館で一泊し、次々と起こる心霊現象に絶叫し続けた。大型の罰ゲームとしては、1人で全ての罰を受けなければならない・何かをしたら罰を受けるという形になっていないという特徴がある。8月5日・12日・19日・26日と4週に渡り放送された。DVD・Blu-ray共に第2巻として発売されているが、つのだじろうが見せた写真など、本放送とDVDでは一部内容が異なる。ガキ使のDVDでは第2位にランクインしている。


松本は仕掛けに終始ビビりっぱなしで、特に小便を済ませるためにトイレに行って用を足そうとしたときに女の幽霊が目の前に現れる場面では、松本は「うわぁー!!ちょっとアカン、これはアカン!これはアカンで!これはアカンで~!!もぉ~アカンて、ションベン出てんのに!(1回目)」「うわぁー!!もうイヤやってぇ~!(2回目)」「うわぁぁぁぁ!!(3回目)」「うわわわわわ、もう~!!もうええて、もうええて!!(4回目)」「うわわわわわああー!!…それやめろや、もう~。(5回目)」と尋常ではない怖がり方をしていた。結局、松本はトイレで小便が済ますことが出来ず、「オンエアとかそんなん関係あらへん」と、部屋にあった紙コップに用を済ませるという醜態をカメラの前でさらしてしまい、山崎には「アレ最低なんですよね」と呆れられていた。山崎は対決・罰ゲームシリーズで珍しく罰を与える側に回ったが、最初の登場では松本を驚かせた後スタッフの陰謀でトイレの女幽霊にはめられた挙句、旅館の中で迷子になってしまった。山崎に限らず、仕掛け人サイドも色々な仕掛けに恐怖した。


なお、舞台の廃旅館はあくまでも罰ゲーム用に廃旅館と設定されただけで実際は普通の温泉旅館であり、道中の怪奇現象は実際には全く起こらず、2023年現在も営業中である。


  • 早朝松本レンジャイショー(2002年夏)🟥

走り幅跳び対決(2002年5月5日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。松本の母(秋子)・父(譲一)・姉(直美)・兄の松本隆博と共に日本テレビ麹町分室(当時の日テレ本社屋)の駐車場でヒーロー戦隊ショーを演じた。数年ぶりに親子5人が一堂に会した打ち合わせ風景が見物だったが松本は久しぶりに家族と会えて結構楽しんでおり、ある意味罰ゲームらしくない終始和やかでアットホームな雰囲気であった。その様子を見て山崎は「罰ゲームとちゃいますやん!」とボヤいていた。7月26日早朝4時25分 - 4時30分の5分間生放送された。8月4日・11日と2週に渡り放送。DVD第7巻に収録。なお当初の罰ゲーム予定日には台風が接近しており、交通機関が麻痺したため松本家が上京できず結局当初の予定日より2週間延期して企画は行われた。DVDには放送当時のテロップと時刻表示がそのまま収録されている。


実はこの罰ゲームは1993年の紅白予想対決の罰ゲームとして企画されていたのだが著作権の許可が降りず断念し、「早朝親子寄席」に至る運びとなった事が当時のトークで話されている。約8年の歳月を経て実現した罰ゲームである。松本は後日談で、日テレの駐車場(松本レンジャイ収録場所)に来るたびに松本レンジャイを思い出して嫌な気分になると話している。父は仮眠を取った後、台詞や振り付けを全部忘れていて挙句は落とした鈴が見つけられないというグダグダっぷりだった。


  • ノーリアクションパイ地獄(2002年秋)🟥

2002年日本シリーズ勝敗予想対決(2002年10月27日放送のトークにて)に負けた松本に対する罰ゲーム。松本は普通に家の中で過ごし黒子に扮した浜田・山崎・ココリコがひたすらパイを投げ続ける中、全くリアクションせずに日常生活を送らなくてはならない。中には宅配便の配達員からもパイをぶつけられ配達の中身のパイも松本にぶつけられた。罰ゲームの模様は11月17日放送。DVD第7巻に収録。


  • 絶対笑ってはいけない温泉宿一泊二日の旅(2003年夏)🟥🟩🟨🟪 指揮役🟦

2003年5月18日に放送された「史上空前4対1変則ボウリング対決」で敗れた松本人志、山崎邦正、ココリコ(遠藤章造、田中直樹)に対する罰ゲームで「笑ってはいけないシリーズ」の通算1作目。対決で負けたメンバーは罰ゲームの舞台である温泉旅館で一泊二日過ごし、その間は笑うことを禁じられ、笑ってしまうとその場で服を着てようが、全裸であろうが問答無用で「お尻に吹き矢を刺す」という過酷な罰が執行される。


  • ウラジオストクのウラジオストク中学校の体育館裏で裏番長に裏拳で殴られてくる!!(2003年年末)🟦

2003年日本シリーズ優勝予想対決(2003年10月19日放送のトークにて)に敗れた浜田への罰ゲーム。都内のお好み焼き屋でのトークで、松本が予想したチームが裏の攻撃(後攻)で勝利を重ねた事で「裏の読めない男」の烙印を押された浜田のお好み焼きを片方しか焼かずに食べさせようとした松本に浜田が「も焼かな」とツッコんだのをキッカケに松本が「日本シリーズの裏表も読めへん男が己の食うお好みだけは裏表焼きたいか‼︎」と謎にキレるという一連の流れの後に発表された。概要としては、その名の通り浜田を「ウラ」、「」、「うら」のつくものづくしで責め立てるというもの。松本の指示で浜田は返しのタキシードに着替え出発、2泊3日に渡りまず東京駅の新幹線ホームで元読売ジャイアンツの新壽夫選手が現れるや否やこれが新潟空港まで続くこととなる。JR上越新幹線で新潟駅へ行き、航空便の出発まで新潟市内観光も行い、新潟空港から飛行機でウラジオストクへ向かう。現地到着後もウラジオストク中学校に向かう途中様々なを見せられた後、ウラジオストク中学校に裏門から入らされ、番長のウラジミール君により罰が執行された。道中の案内人は島太郎に変装した田島雄一(元ダウンタウン チーフマネージャー)。罰ゲーム中は終始返しにされた料理が出され続けた他、BGMも山本リンダの「狙いうち」(「うらら〜うらら〜」の部分、目覚まし時計の音声にも使われた)、甲斐バンドの「切りの街角」や中島みゆきの「うらみ・ます」が使われるという徹底振りであった。罰ゲームの模様は12月14日・21日の2週にわたって放送。DVD第7巻に収録。




ここからの罰ゲームは一環として笑ってはいけないシリーズとなる。



  • 笑ってはいけない温泉宿一泊二日の旅in湯河原(2004年年末)🟦🟩🟪 指揮役🟥🟨

「わさび寿司ロシアンルーレット対決(2004年9月19日放送)」で敗れた浜田、月亭、田中に対して罰ゲームを実施。放送15周年記念で罰ゲームの模様は初のゴールデンタイムで放送。


  • 絶対に笑ってはいけない高校(2005年秋)🟥🟩🟨🟪 指揮役🟦

「ビリビリコンセント・ロシアンルーレット対決(2005年6月26日放送)」で敗れた松本、邦正、遠藤・田中が罰ゲームを受ける。


  • 絶対に笑ってはいけない警察24時(2006年年末)🟦🟩🟨 指揮役🟥🟪

この回から罰ゲームは大晦日での放送となる。

「タライアンルーレット対決(2006年10月8日放送)」で敗れた浜田、邦正、遠藤が罰ゲームを受ける。


なお、この回で対決シリーズは一時廃止され、翌年の病院24時以降は全員参加となる。


  • ピタゴラヒトッシ(2023年夏)🟥

約17年ぶりの対決&罰ゲーム企画。チョロQアンルーレット対決(2023年3月12日放送)に敗れた松本に対する罰ゲームであり、メンバー5人によるロシアンルーレット形式の対決では初めて罰を受けるのが1人となった。また、5人参加型の対決&罰ゲームで松本が1人で罰を受ける側になる及び方正が仕掛け人側に回るのは2001年夏に執行された「ひとりぼっちの廃旅館1泊2日の旅」以来約22年ぶり。

罰ゲームは8月9日の早朝に5分間の生放送で正装で張り付けにされたままピタゴラスイッチの要領で立つ旗に書かれた「金だらい」「〇〇マシーン」などの罰ゲームを受け続ける。この手の生放送罰ゲームとしては2002年の松本レンジャイショー以来21年ぶりだったものの、放送が5分以内に収まらなかった。9月3日のレギュラー放送で全貌が明らかになり、最後の罰は「パンツ一丁にされてからパイバズーカを撃たれる」と判明した。

因みに今回の罰ゲームは7月中に視聴者から罰案を募集して決定したものである。


関連タグ編集

笑ってはいけないシリーズ 24時間耐久鬼ごっこ

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