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曖昧さ回避編集

  1. ロンドンブーツ1号2号のツッコミ。本記事にて記述。
  2. 俳優。父は歌舞伎役者の阪東妻三郎、兄はそれぞれ俳優の田村高廣田村俊磨田村正和(さらに異母弟に俳優の水上保広がいる)と芸能一家の出身である。息子は同じく俳優の田村幸士。⇒田村亮(俳優)

なお両者は近所に住んでおり、俳優の方の田村に送られた小包が芸人の方の田村の家に誤配されたことがきっかけで、お互いの面識ができたという。

ちなみに俳優の方は芸名(本名は「田村 幸照」)で、芸人の方は本名である。


世代によっては「田村亮」と言えば俳優の方をイメージする人も多い。

ロンドンブーツ1号2号の田村亮編集

不器用ですから…

1972年1月8日生まれ。大阪府高槻市出身。

ロンドンブーツ1号2号の金髪でベリーショートの方。ネタではツッコミ担当。

コンビ名はどちらが1号・2号かを特定するものとして付けられたわけではないが、一応年上ということで1号を名乗っている(2020年は一時的に2号となっていた)。


コロコロ髪型や髪色を変える相方と違いずっとこのヘアスタイルを貫いている。この髪型に落ち着く前は黒い長髪で、舞台に遅刻した際にペナルティで坊主頭にしたところ加藤浩次に気に入られ「もう少し伸ばして金髪にしたらいい」と言われたのが始まりである。


もともとは大工の父親の跡を継ごうとしていた。兄の影響でラジオ番組のハガキ職人となり、そこから芸人を志すようになった。

高校卒業後は地元のスーパーで正社員として働いていたが、一年半ほどでやめて上京している。


大阪出身だがNSCに就学せず、直接東京でデビューした珍しい芸人である。当時上京して大成功していた千原兄弟を見て、「大阪でやっていても後れを取るだけだ」と直感し、単身東京に乗り込んだという。

東京のインディーズ芸人一座「集団田中」に参加。ここで新しい相方を探していた田村淳と出会いコンビを結成。路上ライブを経て銀座7丁目劇場のオーディションに合格し、デビューを飾る。

2000年代以降はバラエティ番組が忙しくなったこともあり、淳が「(ネタ見せの機会がないので)自分はもはや芸人ではなくなった」と発言するほどコンビでネタを披露する機会はほぼ無くなっているが、漫才ではシュールなボケをかます淳に短く冷静にツッコむ役割である。コントでは時々ボケに回ることがある。


一見するとボケ担当としてはっちゃける淳を諫める常識人だが、実態は吉本芸人でも稀に見る天然ボケのお人好しで知られ、むしろぽやっとしている亮を淳がサポートするのが、このコンビの実態である。

その人柄の良さは淫行疑惑が発覚した狩野英孝の謝罪会見をTwitterと連動していると知らずに匿名でコメントしていたのが漏洩した時も、いい意味で大物ぶらず一般人が思っている怒りや不満をただ素直に言っていただけだったためむしろ周りからの好感度が上昇したほど。


漫才でのツッコミやトークバラエティー番組での合いの手は出来るが、司会業やレポートなどの仕切り屋は苦手で、コンビの冠番組でもほぼ9割淳が喋っており、しかもそこに割り込むのも一苦労している。

そんな性格ゆえ、芸人仲間からは若干舐められがちなものの、そのアホの子加減と純粋で心底優しい人柄から、相方の淳を始め彼を慕う関係者は多く人望に厚い。

当人もカッコつけず淳の脛を齧るスタイルを公にしている。


趣味は格闘技観戦と釣りで、柔道黒帯保有者。

釣りではクールアングラーズアワード2007を受賞、海洋生物にも詳しい。

旧車マニアでもあり、愛車は日産のブルーバード。

ちなみにウルトラマンシリーズの大ファンで、釣りとウルトラマン雑学だけは淳に勝てるポイントとのこと。

また、番組のロケがきっかけで、狩猟免許を取得している。

淳とは逆にマルチに活躍する事は苦手で、本人も「自分はあまり器用なタイプじゃない」としているが、一つのめり込むと着実に成果を出すタイプである。

近年はマラソンにも励んでいる。


2003年に岡山県出身の一般女性と結婚し、2児の父親となっている。

ちなみに奥さんも、亮に負けず劣らずぽやっとしているらしく、結婚前に週刊フライデーへの対策を徹底したにもかかわらず、明らかなパパラッチを何も疑わず二人で見ていたら、翌日にすっぱ抜かれたとのこと。


特に若い頃は正統派のイケメンとして売り出されており、吉本男前ランキングでは初回から三年連続一位を獲得して初代殿堂入りを果たしている。


闇営業問題編集

2019年7月に浮上した「吉本興業芸人闇営業騒動」の発覚により一時芸能活動を自粛。

その後、騒動の中心人物の一人として、「雨上がり決死隊」の宮迫博之と共に、謝罪会見の場に引きずり出されることとなった。

会見では、宮迫と同じく最初の聞き取りの段階では「(反社会勢力から)金銭の授受がなかった」と主張していたが実際には受け取っていたと正直に認め、自分の非について素直に謝罪すると共に、吉本興業の上層部から「引退会見を開くか契約解除するか」と半ば脅しのような形で圧力をかけられたことを言及しており(※吉本はこれを否定)、宮迫と話し合いの末独断で謝罪会見に踏み切ったと明かしている。


淳によれば、会見の前日まで亮と連絡を取っていたが、会見のことは直前まで伝えられなかったという。亮が(今後の身の振り方について)自分に相談できない状態まで追い詰められていたことにショックを受けたと同時に、本人の意思を尊重して「会見では正直に自分の気持ちを伝えてほしい」と話したとのこと。


その後は相方の淳が全面的にバックアップすることで、大きく炎上する事態を避けた。

淳も亮のうっかり者ぶりを熟知しているので、当人に箝口令を徹底させて一切の取材を受けないよう、厳しく監視していたという。


本人は騒動によりかなり精神的に追い詰められていたようで、芸能活動自粛中は自宅のソファーに座りっぱなしで、「100年使っても潰れない」と言われるソファーだったのに、彼の座った形にソファーが沈んでしまうほどだったと淳が語っている。食事や睡眠も満足に取れなかったようで、謝罪会見の際にはかなりやつれた様子であった。

会見後はあまりにも気分の浮き沈みが激しかったことから、心配した淳の付き添いで心療内科を受診し、適応障害であると診断を受けている。


以後、翌年3月まで徹底した活動自粛を通し、その間に淳が有限会社「LONDON BOOTS」を創業して亮をLONDON BOOTS所属に転属させた上で、吉本興業とエージェント契約を結ぶかたちへ変更した。

2020年4月から本格的に復帰を果たすも、基本は冠番組の画面外で控えて、時折カメオ出演的に登場するにとどめていた。

そうした地道な努力と淳の経営戦略、そして亮の元々の人柄の良さもあった事で次第に闇営業問題への不信感が払拭された事で徐々に表舞台へと復帰、2021年1月に目標としていたロンドンハーツのスタジオにも戻る事が出来た。


こうした経緯は宮迫と比較対象ともされ、「【待てば海路の日和あり】を実直にやってのけたロンドンブーツ1号2号と、復帰のために功を焦り、最終的にコンビ解散にまで至ってしまった宮迫」と、明暗を分けた対処方式の一例にされている。


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