概要
タマモクロスの父・シービークロスはその芦毛の馬体と後方からの鋭い追い込みを見せて幾つもの勝利(目黒記念・秋、毎日王冠、金杯・東)を得ていた為、ファンから「白い稲妻」と呼ばれ、親しまれてきた。
シービークロスの引退後、初年度産駒として生まれたタマモクロスは当初ダート路線を中心に走るも、中々に活躍出来なかった。
しかし1987年秋、デビュー戦である4歳新馬戦(7着)と第4戦(京都4歳400万下戦)(前の競走馬の落馬事故に巻き込まれてしまい落馬、競走中止)でしか走らなかった芝路線に戻った途端、一気に本来の実力が開花。父親譲りの芦毛の馬体から繰り出す鋭い追い込みで幾多もの強敵を退け、父シービークロスが成し得なかった嘗ての八大競走、ひいてはGⅠ勝利(天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋)を得るとファンから「白い稲妻」「稲妻2世」と呼ばれる様になった(但し、シービークロスが現役時代の頃は日本の競馬ではまだグレード制は導入されていなかった)。
そして現在ではその父親を大きく凌ぐ活躍振りから「白い稲妻」と言えば真っ先にタマモクロスの名前が大抵挙げられる。
因みに
- タマモクロスが引退した1989年から1993年にかけて週刊少年マガジンで連載された本島幸久の漫画作品『風のシルフィード』の主人公・森川駿が主戦騎手を務めた芦毛の競走馬シルフィードの異名として「白い稲妻」が用いられている。
- Pixiv内では上記の見出しのイラストを含め、主にウマ娘の方のタマモクロスに白い稲妻のタグが付けられる事が多い。
- 現代の感覚だと「白い稲妻というけど、白いのは白毛の馬で、芦毛は灰色では?」と感じる向きもいるかもしれない。しかし、日本初の白毛サラブレッドハクタイユーが生まれたのすら1979年、シービークロスが「白い稲妻」と呼ばれ始めたのとほぼ同時であり、まして白毛馬がレースで活躍するようになったのは2010年代以降の話である。古来、日本では白馬といえば、年齢を経て毛並みの白くなった芦毛馬を指すのが普通のことだったのである。
- タマモクロス引退後のおよそ4年後に放送された『特捜エクシードラフト』の後半に登場するマシン『バリアス7』が「白い稲妻」と呼ばれている。これは乗用車でありながら最高速度(ウルトラハイスピードモードでの速度)が2000㎞という、特殊車両とはいえ乗用車に必要かと疑問を持つレベルのスピードを出せることによる。